智留彦デザイン論・デザインとは何か

意匠としてのデザイン ―美と用とメッセージの造形―

1 はじめに

たとえば良いデザインとはどんなものを指すのか。もちろん実物を目にすればよいか悪いかの判断は

きる。しかしずっとそれを言葉で表したいと思っていた。 最近、なんとなく「こんなものなのかなあ」と

思えるようになった。以下独善的かつ短絡的にまとめてみたい。

2 デザインの誕生

1) 工芸の時代

美術のひとつのジャンルとして工芸という分野がある。日本美術でいえば陶芸、漆芸、刀剣、甲冑など

ある。 その発展はおそらく室町以降だとおもわれるが、和歌、連歌などとの連想をはじめ、そのデザ

イン性には驚かされるものもある。 たとえば戦国時代の当世具足と呼ばれる甲冑の造形は、まさに現

代デザインを彷彿とさせるものだ。 しかし、それらは基本的に1品生産であり、クライアントは一般大衆

ではなく、限られた人たちである点に留意したい。 ただし作者銘の入ったものも多く、デザインの走りで

あることに異論はない。

2) 民藝の時代

一方で柳宗悦の提唱する民藝の品々がある。彼がいうアノニマス・デザイン―用を追及した無名の品

の美しさ。 その美しさは認めよう。しかし、それがデザインか、というといささかの疑念を生じる。作り

手が、その物にたいしてどのような意味をこめたかが不明なのだ。 たとえば朝鮮の井戸茶碗のように、

後世の鑑賞者が美しさを愛でるのは結構だが、それはデザインとは別次元というべきである。

2) 大衆文化、消費社会の出現

面白いことに19世紀にはいると、イギリスではヴィクトリア朝の文化の爛熟期となり、日本では文化、

文政のこれまた大衆文化が華やかな時代をむかえる。 産業革命を経験し、貴族以外上流階級

生まれ、消費社会が目の前に表れてくる。

日本でも同様、生活に余裕がうまれ江戸文化が最高潮に達するのだ。 それまでの貴族相手の製品に

量生産の要求が生じ、製品デザインの必要性が高まった時代である。

3) デザインの世紀の始まり

欧米では、ウィリアム・モリスの時代を経て、アールヌーボーの時代をむかえる、すなわちモダンデザ

インの夜明け前である。 そこでのモチーフとして、動植物の姿が取り入れられたのは周知のとおりで

ある。 そのとき出会ったのが、パリ万博に出品されたの江戸の物品だった。その洗練された造形性に

大きなショックを受けたにちがいなく、あきらかにその影響をうけたものが認められる。しかしそこでの

高度な抽象性は実現されていないのも事実である。

また交通機関の発達により情報の伝達速度も飛躍的に高まった。それらの刺激を得て欧米各地に新

しい芸術運動、デザイン運動が生まれたのである。

3 モダンデザインの発展

1) デザイナーの誕生

ここで注意しておきたいのは品物の大衆化と作り手の名前が必要となったことだ。実際の品物は職人

の手になるものの、企画指示した人の名が求められるようになったことだ。 つまりデザイナーの誕生

である。それが個人であるか工房であるかは別として、デザイナーとしての能力を問われることになっ

たのである。 しかも市場に答えて、どんどんと新しいものを作っていかざるを得ない状況が生まれた。

それは従来の徒弟制度の枠におさまらない作り手(デザイナー)の教育という問題が浮上してきた。

2) バウハウスの役割

そこで実験的に創設されたのがドイツにおけるデザイン教育施設「バウハウス」である。 日本語に訳

せば「建築の家」であるが。建築だけにとどまらず、美とはなにか、といった哲学的な命題から、色彩

論、身体論あるいは機能性の評価などの、工学的アプローチも試みられた。 さらに造形上の実際の

表現手法などが研究され、体系化されていったものである。まさにここにおいてデザインという分野が

確立した。つまり「モダンデザイン」が完成されたのである。

3) アールデコという徒花

いわゆるモダンデザインが美と用を徹底的に追求した結果、インターナショナルデザインという言葉

が生まれた。すなわち良いデザインは世界のどこにもっていっても良いというのだ。 それにたいする

揺り戻しが、いわゆる「アールデコ」と呼ばれる芸術運動である。あまりにもシンプル過ぎるデザイン

が、かえって人間的温かみから遠ざかる結果ともなった。 第1次世界大戦をはさんで、そんな装飾

性への欲求が幾何学的な形を多様するアールデコ様式を生んだものと思われる。

そしてヒトラーの時代をむかえ、第2次世界大戦への足音が聞こえてくるようになる。アールデコの

様式は短命ではあったが、アールヌーボーとともに今も人気がある。 デザインモチーフとして時代

を超えて登場してくるものである。アールデコ様式自体に「和」の雰囲気があることで、当時のジャポ

ニズムの色濃い影響を指摘しておきたい。

4) アメリカンデザイン

ナチスに追われたユダヤ系のデザイナー達はその多くがアメリカの土を踏むことになる。同時にデ

ザイン教育の先達としての彼らのデザインはアメリカで花開くことになる。 それは底知れないアメリ

の生産力と呼応して、第2次大戦中から戦後のアメリカデザインを華々しく確立した。いわゆるフィ

ティーズの時代である。 プラスチックという新しい素材と、底抜けの明るいライフスタイルが、世界

リードすることになった。

5) スカンジナビアデザイン

ほぼ同じ時代モダンデザインは北欧に芽生えた。デンマーク、スェーデン、ノルウェイ、フィンランド

のスカンジナビア地域である。 本来のクラフト的手工業の素地の上に開花した。アアルトをはじめ

とする木材を使った造形が有名だが、洗練されながらも温かみのあるデザインが特徴である。

6) イタリアデザイン

その他ヨーロッパの国でもとくにイタリアデザインを忘れるわけにはいかない。大胆な色彩を使った

派手なデザインはラテン民族としての陽気さがあふれている。 本来デザインは「楽しいもの、明るい

もの」というのが本質である。構成がどんなにすぐれていても、それが暗い印象をあたえるもののな

らば見向きもされない。 一目でイタリアデザインとわかる、明るさがデザインの1潮流を築き上げた

のといえよう。

7) モダン&ポストモダン

1920年代から始まったモダンデザインの世界にひとつの転機が訪れる。高度成長をある程度達

成した先進各国の間でのポストモダンという動きである。 それはモダンという既成概念にとらわれ

ず、機能主義的部分の見直し、あるいは表現の多彩さを求めたもので、装飾的要素あるいは奇抜

な造形が求められた。 おそらく1970年ころがその転換点であろうと思われるが、現在はまたその

反省期にはいっているようだ。 つまりモダンデザインは不滅なものとして、いかにその表現を味付

けしていくか、と自由に考えるようになってきているようだ。

4 意匠という言葉

さてここでデザインという言葉をもう一度考えてみたい。英和辞典によればそれは「設計」「意匠」

「図案」と訳されるらしい。 図案というには表現が平面にとどまってしまう。設計ではむしろ機能的

な表現に偏ってしまいそうだ。 ここでは意匠という言葉に注目してみたい。

逆に意匠を広辞苑でひいた場合、美的な構成という解釈が多いのだが、「意」といい「匠」といい、

なかなか含蓄のある言葉だ。 ちょっと古臭い言葉ではあるがデザインの訳語としてはもっともふ

さわしいのではないだろうか。

5 デザインの定義―美と用とメッセージ

以上の検討からデザインを次のように定義したい。

つまりデザインは3つから構成されていると考えたい。

1) 美の造形―均整と調和(プロポーションとバランス)

デザインは美しくなければならない。美とは何か?これはデザイン以上に難しい言葉だ。古来さ

まざまな人が分析し、美学という学問領域も哲学の1部門として存在する。 ここでは物質を構成

する要素、すなわち材質、色彩、模様、大きさ、数量、時間がそれぞれ調和し、かつ均整のとれ

た構成の存在と考える。

2) 用の造形―安全、利便、快適

そしてデザインは機能的でなくてはならない。まず安全であること、つまり安全性が保たれてい

ること。 ついで便利であること、つまり利便性である。場合によっては経済性と置き換えられるこ

ともある。 さらに快適であること、快適性とも言えるが、使い易さ、解かり易さである。 以上の3

要素がすべて確保されている必要がある。

3) メッセージの造形―個性と文化

「美と用」という言葉は以前からある。いわゆる機能主義では「機能的なものはすべ美しい」とし

ているが、「美しいものはすべて機能的」か、といえばそうでもない、 美しく、かつ機能的でなけ

ればならないが、ここではさらに一つ加えたい。

それがメッセージである。「意味」あるいは「イメージ」といってもいいのかも知れない。 「そのデ

ザインは、何を訴えたいのか」という訴求力である。受け手はその内容を想像、吟味し作品ある

いは製品を認めるのである。 それは「個性」と「文化」から、構成されている。 「個性」すなわち

「個々の感性」はその造形から、楽しさ、明るさ、スピード、スケール、安心、驚き、清潔感、健

感を読み取り感動する。

さらには「文化」、その造形の背後にある地域、民族、時代、様式、思想、技術、教養、生活、

、経済、環境を体感するのだ。 だからそこには作り手がいて強いメッセージがなければなら

ない。

以上の3つの方向からのアプローチがデザインの本質であろう。

それがすべて満足されているのが「良いデザイン」といえるのではないだろうか。

6 おわりに

いつも疑問におもうことはデザインというもののとらえかたの難しさである。建築や都市などの

環境デザインでは工学的要素が多く、数値化されにくい美や意味についての研究が進みにく

い傾向がある。

デザインの評価という点については、景観論や感性工学的なアプローチがなされ始めてはい

るが、いまだ方法論は手探り状態だといえる。 はたしてこのまま美術と工学のあいだでさまよ

い歩きつづけるのか、あるいは画期的な概念が生まれるのか、興味をもって見続けていたい。