智留彦・運勢論その1−「感動体験運勢好転論」略して「感動幸運論」

 

あなたは運の良いほうですか?そうでもありませんか?ツイていませんか?

やはり自分自身、「運がいいほうだよ」と答えたいですよね。

まあ人間の運命というか、宿命とかはあるにせよ、運の良さはどこからくるのか?

ずっと考えてきました。このところ、おぼろげなりに、どうもそういうことらしい、

と ある考えを思いつくに到りました。

 

読書日記をご覧の皆様はお気づきのことと思いますが、先日、女優比企理恵の

「神社でヒーリング」という本を手にしました。彼女が神社フリークになって、あちこちの

神社を訪れる話。その結果、運が向いてきた、という体験です。

わたし自身、毎日近くの愛宕神社にウォーキングの途中、立ち寄って参拝しています。

いなかの神主もいない小さな神社ですが、いつもおごそかな気分、あるいは晴れやかな

気分で、その時間がほんとに貴重なひとときだと感じます。

それから4キロほど、河端を歩いていると、みなれている風景なのに、思わず「いいなあ」

とつぶやいてしまっています。

いつしかフレッシュな感情になっているのです。

そうなんです。これが「感動体験」なのです。

 

たとえば似たような境遇にそだちながら、人生が運不運にわかれてくるのはなぜなんでしょうか?

ささやかな幸せでもいいのですが、一方で健全な社会生活を築くことが

できる人もいれば、そうじゃない人もいる。

 

現実にわたしの仲間を二人ガンでなくしています。二人ともタバコも吸っていませんでした。

ご仲人の後藤先生なんか、八十のいまも、タバコをきらしたことのないチェーンスモーカーです。

なにもタバコを吸ってれば、かならずガンになるわけじゃないのです。

つまり免疫力の問題なのです。ストレスが成人病を生む、というのは

それが免疫力を弱めるからなんでしょうね。

だいたいカゼをひくときだって、ちょっとヒマができた時が多いですよね。

気分がゆるんだとき、ちょっと休んでみたいかな、と思うとき。

ではその免疫力はどこから生ずるのか、楽しい体験を重ねることが大切なことは

いままでもあちこちで指摘されています。ガンが消えたなんてこともあるようです。

つまり、それには「感動体験」が大きく関与しているのではないかと思われるわけです。

 

おなじように人間の運不運も、そこに関係があるのではないか、というのが私の推論です。

幼いときから、感動する楽しさを知っていれば、つぎにもそれを味わいたいと思うはずです。

そして、つねにその機会をもとめる姿勢、それは前向きの姿です。

つらいことがあろうとも、つぎには楽しいことがあるはず。そんな希望をもつ毎日。

それが生活態度に、日々の表情に出ないわけはありません。

おそらく背筋を伸ばした姿勢、明るい顔になっているはずです。

小さなことでクヨクヨすることもないのです。まあ、そんなこともあるわな、と笑えるのです。

だんだんと人生論になってきちゃったですね。

 

明るい表情は周囲にもいい影響をあたえます。とうぜん環境も明るくなります。

そこで逆に廻りから、さまざまな面で期待されてきます。

あいつに頼んでみよう。あいつにやらせてみよう。というわけです。

不思議なことに、前向きな気分でいると、いいアイデアがうかぶのです。

夜中に、ちょっと眼がさめたとき、あるいは散歩をしたり、クルマを運転していたりするとき

あそこをこうしてみよう。こんな考え方もあるかも知れない、とふっと思うのです。

さらに自然体でいるわけですから、目の前のものにたいして集中力が増してきます。

しらないうちに成果があがっているというわけです。

 

さあ、だんだんと運が向いてきました。物事は良い方向にへと回転しはじめます。

毎日が楽しくてしょうがない、という気分になるわけです。

どうです廻りにそんな人いませんか。

さっきの運のいい人とそうじゃない人との差はそこらにあるんじゃないでしょうか。

 

ですから元気を出していきましょう。

癒し系はだめです。つかれた顔、不景気なツラもいけません。

音楽、美術、演劇、映画、スポーツ、旅行、読書、家族、仲間、恋愛、買い物、仕事そして趣味

なんでもいいんです。感動体験を求めましょう。

新鮮な感情を大事にしましょう。いいなあと思える時間をもちましょう。

背中がゾクゾクするような感動を積極的に求めましょう。

そして、幸せの女神のすそをつかまえるのです。

 

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