飯田 ぎおん津島さま

 

7月中旬 14・15日にかけて 市街地では各町内で「津島さま」の飾り付けが行われる

やはり山鉾巡行で有名な京都の祇園祭と同じく 牛頭天王をお祀りする行事であるが

八坂神社系とは違い愛知県津島神社の系列なので 名古屋方面から入ってきたものか

旧城下町の町場の風習として定着したようである

 

令和4年・津島さま

ついに大久保町でも祭り日が 14日ではなく 日曜日になってしまった

7月10日 朝7時より飾り付け 担当は4組で 駆けつけてみれば すでに北林副自治会長が奮戦中

午後2時より 自治会長ほか10数名の出席で お参り

7月14日 知久町1丁目と2丁目は いつも通りの祭礼会場

3丁目も例年通り 自治会館の竹川会館で 本町1丁目は 再開発ビルの入口

本町2丁目 空きビルの玄関脇も例年と同じ 3丁目は これも同じく伊坪さんの駐車場

銀座では5丁目の空き店舗の店頭

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そのほか確認できた祭典は通り町1丁目、追手町2丁目、箕瀬1・2・3丁目

吾妻町2丁目、東新町、小伝馬町1・2丁目、江戸町、仲ノ町、伝馬町2丁目の計18町内

数は明らかに減っている しかも夕方には片付ける町内が多かった

15日まで飾り付けを つづけた町内はさらに半数ほどだった

(2022・7・17)

 

平成26年 津島さま

まずは大久保町から 愛宕神社境内に氏子 8ヶ町+箕瀬2丁目の町内神社が並んでいる

大久保町は最後発だから 狭いところに無理やり入れてもらった津島神社の碑

朝7時より自治会役員と当番の4組が出て設営 直会は夕方6時より前の地面で行う

箕瀬3丁目は本通りから東に入った自治会館の2階に祭壇を設置

同じく2丁目も 本通りに面した自治会館の1階に飾り付け 神棚の中には津島神社の御札

太鼓が置いてある例が多い 外周りでは入り口両脇の笹と縄から紙垂(シデ)に注目したい

箕瀬1丁目は市役所改築で軒並み町家が消滅したが 長源寺の門の外側の自治会館の2階に設営

箕瀬から知久町に出て4丁目に上がる 鰻の丸井亭の店舗裏側に津島神社の祠

3丁目に下ると自治会館の竹川会館 暗く狭いローカを奥に進むと 階段踊り場に飾り付け

2丁目は空き店舗を利用 供物などはこれからのようだ

1丁目は八十二銀行前の歩道に面して設営 背後の幕は 町内独自の意匠が面白い

知久町から1筋南側の扇町 ここも空き家スペースに飾り付け 幕には末廣の文字

知久町の1筋北側の本町 1丁目は再開発ビルのマンション入り口

両脇の提灯もあちこち見かける


同じく2丁目は外松ビルの駐車場入り口左側

3丁目は伊坪さん宅駐車場

大横町も目立たなく 飯島さんの駐車場

通り町は1丁目のみ 公民館長の秀文社さんの前

松尾町も3丁目のみ ビル駐車場に祭壇 幕は松葉模様に3本横縞

ここが良くわからない 住所からすると松尾町4丁目の梶田さん宅だが

資料によれば中央通り4丁目の祭壇だという

中央通り4丁目には もう1ヶ所あって本通りから松尾町に抜ける横丁の空きビルに設営されている

以下は旧飯田城内の町内で 銀座通りの東側は堀のあったところ

3丁目のこのビルは堀端ビルと名付けられていて そのホールに祭壇

銀座通りから 旧飯田城三の丸に入り 主税町へ下ると駐車場に設営されている

同じく主税町の1筋南側 追手町1丁目も空きビルの1階部分

2丁目はずっと下って旧飯田城本丸部分の自治会館

追手町より さらに南側の常盤町 ここは上常盤で 旧ホテルの入り口部分

東に下った下常盤は やはり空きビル前の空地に祭壇

谷川を渡って吾妻町南は 神主を招いての本格的な町内安全祈願

さらにそれより100mロータリー方向に移動すると やはり民家に吾妻町東の飾り付け

そしてロータリーから桜町方面に向かい 東新町2丁目

その北側の通りの東新町1丁目は津島神社に参詣しての大きな新しい御札

お年寄りが集まって お茶を飲みながら歓談中

ここは大門町の自治会館 現在準備中 大門町も1・2・3丁目とあるが

今は合同して お祀りしているようだ

そこから南にくだり さらにJR踏切を越えると桜町 これは2丁目の民家の和室

さらに南の1丁目は自治会館に祭壇

今度は東に下って小伝馬町1丁目

さらに東に下り 本通りからはY字状の中通りの南側 小伝馬町2丁目のやはり自治会館

通りをさらに下り 富士橋のたもとから 野底川に沿って上がった浜井町の自治会館

江戸町は柳通りの3階建てビルの駐車場に祭壇

仲ノ町は普門院天満宮の北側に祠

その奥 二本松は突き当たりに やはり祠があった

市街地に戻って 伝馬町2丁目は民家の駐車場 その昔は いろいろな出し物が飾り付けられていて

とくに伝馬町筋は怪談などの名場面が有名で 夜見物に歩いた記憶がある 昭和20年代

伝馬町を下って1丁目は久保田さんの未使用店舗の前面空地に設営していた

以上 ここでは37ヶ町しか確認できなかった

資料によれば平成25年の調査では47ヶ町を廻ったという

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なおこれらの場所の訪問には高森歴史民俗資料館の松下清志さんの作成した

平成23年「飯田市街地の津島様アンケート調査」を参考にしている

下写真は橋南公民館での松下さんの講座風景

以前松本の源智の井戸附近で屋台に遭遇したことがある 飾り付けは牛頭天王と

習合したといわれる須佐之男命の人形だったので いま思えば祇園の行事のようだ

同じように飯田でも屋台の巡行があったのかもしれない

2014・7・31

 

平成27年・大王路津島さま

(2015・7・30)

なぜか7月11日(土) 自転車で通りかかり発見した 自治会館に簡素な飾り付け

 

平成28年・津島さま

(2016・7・30)

7月14・15日 市街地では津島さま ほぼ例年通りだが 飾る町内は明らかに減っている 

ここは松尾町3丁目 2年前から通りを隔てて南側のビル駐車場に移動

平成29年・津島さま準備

(2017・8・3)

7月14・15日は ぎおん津島さま 箕瀬2丁目は笹竹を準備してこれから飾り付け

箕瀬3丁目と1丁目は すでに飾り付け終了

知久町1丁目と2丁目も自治会役員が出て飾り付け

左は4丁目 右は本町1丁目

さらに松尾町3丁目と下常磐

 

3年前とくらべ飾り付けを取りやめた町内は 橋南では通り町・銀座・主税町・上常盤

大横町・追手町1丁目・中央通り4丁目 橋北では 桜町1、2丁目・仲の町・二本松など

今までの場所が何らかの原因で使えなくなり そのまま取りやめるケースが多そうだ

 

ただ全国的にも下伊那各地でも祇園祭りは あるていど定着して人気はあるようだ

現在 橋南・橋北ともに ほぼ同じ時期に夏祭りを行っており 昔の祇園祭りの役割を

それが代替しているようにもみえる つまり見世物など祭りとしての人を寄せる機能が

失われて祇園祭りは衰退はしたが 津島さまは 依然として形だけは残っているようだ

 

いずれにしても 梅雨があけて暑さが厳しくなり 旧盆までには まだ間があるという この時期

何らかの祭りが社会的に必要 ということなのであろう 少し早いが江戸浜町・富士山稲荷

「むぎわら祭り」も10代若者の人出の多さをみると それにあたりそうだ

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