山門鑑賞 寺巡り

 

開善寺八脚門

山門から 30mほどの位置に建つ門は3間1戸の八脚門

室町末期の建造として 国指定の重要文化財となっている

左は境内から山門方向 右写真では左方向が入口側

(2023・10・18)

 

畳秀山開善寺山門

上川路の名刹 参道入口に冠木門 駐車場はこの右手東側

山号篇額のかかった山門は閉じられていて 右の小扉に出入り口

藤棚や牡丹・芍薬の庭が有名だが そちらへは駐車場から直行

石楠花も見事だが 観賞する人は多くない

(2023・10・5)

 

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松澤英男先生は追手町小での次男の担任であった その後 校長を歴任

現在は阿南町にお住まいで 町の文化財審議委員を務められている

(南信美術会の会員でもあり 下の油彩静物画は無理を言っていただいたもの)

地元新聞で木地師の論考を読み 感想とともに次男の近況などを お知らせしたが しばらくして

下にあげる関昌寺の山門を町の有形文化財に指定したいので調べてくれないか という電話

(関昌寺の山門に至る長い参道)

 私自身あるいは飯田歴史研究所でも 本格的な日本建築の調査は手に余る ということで

伊那市の吉澤政己博士に連絡 以前に調査されていたらしく その資料から 今回 無事指定の運びとなった

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寺院の名前は一般的に 〇〇山〇〇寺と呼ばれるが 山に見立てた境内への門だから 山門といわれている

四脚門(箕瀬・柏心寺)        薬医門(箕瀬・長源寺)

その形式には いくつもの種類があり 本堂や庫裏が社会的な事情や火災などで建替えられるのにくらべ

建造時そのままの姿を保っていることが多く したがって文化財としての価値を認められやすい

楼門(豊丘・泉龍院)       鐘楼門(下条・松源寺)

市町村の有形文化財として指定されているものも多い

その寺院の歴史や格なども反映されやすく それらを踏まえ鑑賞を続けてみることにした

2022・11・6

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医王山関昌寺四脚門

阿南町富草 国道151号から富草寮方面に上り 寮を過ぎて右側 信長も訪れたという名刹

長い参道の奥に銅版葺きの山門が見えてくる

江戸前期といわれる四脚門で 特長は一般の4本の控え柱が丸柱であること

丸柱の方が角柱にくらべ 格式が高いといわれている

間口は約2間 建立当初は柿葺きだったらしい

本堂側から参道方面

(2022・9・1)

 

松林山柏心寺山門

四脚門といえば 柏心寺の山門

飯田市の有形文化財に指定されている

江戸前期の建造物らしい

(2022・7・24)

 

圜悟山正永寺山門

年末に一応の完成をみた山門改築

総欅造りの四脚門

 これは改築前の四脚門 結構貴重な存在だったが あえなく解体

 

白龍山専照寺四脚門

境内の中に なぜか門だけがポツンと置かれている 位牌堂への入り口と思いきや こちらが裏側

右写真が表側となる 間口は3mほどの小ぶりな四脚門

タルキなどは本格的な造作 山門ではないので山号を篆刻した扁額はない

側面から見ると 本柱に4本の控え柱の構造がよくわかる

現在の山門は鐘を吊るした鐘楼門 小笠原屋敷から移築したものといわれている

つまり上の四脚門が元の山門で 鐘楼門が来たため 位牌堂前に移したと考えたい

(2022・9・20)

 

千種山耕雲寺羅漢門

フルーツロードを座光寺から美女の交差点に向かう下り坂の曲がり手前右を入る

特徴のある楼門の横にでる いわゆる竜宮門という形式で飯田市の有形文化財になっている

東側の正面からの楼門

山門はさらに東側にあるが ここに至る道は座光寺保育園の敷地で通行できない

楼門の1階をくぐると本堂へ 床には石臼が敷き詰められている

2階には十六羅漢像が安置してあるという

本堂前から羅漢門の裏側から 一直線の奥に山門がある

(2022・10・23)

 

補陀山慈恩院楼門

喬木村から豊丘村に入った場所

石段を登り 見上げると 2階建ての楼門 江戸中期だけあって斗組は それほど複雑ではない

やはり豊丘村の有形文化財だが 元は鐘楼門で 鐘本体は戦時中に供出してしまったという

道理でスカスカの2階部分だ

(2022・11・13)

 

池康山泉龍院楼門

丸窓が特徴の2階建ての楼門は 天竜川の右岸からもよく目立ち ランドマークにもなっている

さすがに江戸後期の建造で 見上げると見事な斗組を見ることができる

豊丘村の有形文化財で2階には釈迦三尊・四天王・十六羅漢が安置されているという

楼門をとおして天竜川方面の素晴らしい段丘風景

(2022・11・30)

 

大栄山法蔵寺鐘楼門

飯田市街から愛宕坂を下り 鼎中平へ さらにJR飯田線の踏切を渡った高台にある

整備が済んだ下山妙琴線の法蔵寺前交差点の脇に石段

石段を登ると鐘楼門が見えてくる

法蔵寺は元は もっと段丘よりにあったらしいが ここに移転したようだ

江戸末期の鐘楼門とされていて 移った際に建てられたものか

(2023・1・3)

 

百丈山大雄寺山門

橋北地区の名刹・大雄寺 堂々たる薬医門

本柱と棟とがズレているのがよくわかる

ほぼ南に面していて 境内からは逆光

南側側面より 江戸中期の建立で 当初は柿(こけら)葺きだったようだ

(2023・1・24)

 

大洋山長清寺山門

30数年間 通っている上中村も飯田南スイミングセンターの南隣

石段を登ると立派な薬医門

こちらは逆に境内から参道方面

どうも屋根を瓦葺き変えたらしく その際 左右の片持ち梁の先端に補強柱を増設したようだ

(2023・2・21)

 

 

田嶋山(でんとうさん)長源寺山門

境内に仏教保育園があって送り迎えのクルマは この山門から駐車場に入る

当然 土台の繋ぎは撤去されている なお駐車場へは一方通行で出口は別になっている

薬医門の形式 ただ山号額もなく ネット上にも記載がないので 直接住職に聞いてみた

裏側から 手前の枝垂れが見事で その季節には目を楽しませてくれる

(2023・5・2)

 

神護山長久寺山門

諏訪町にある古刹で 旧飯田藩堀家の菩提寺でもある

山門は藥医門の形式 一直線の奥に2階建ての楼門が見える

山門の屋根は 桟瓦葺きで簡略化されているが 棟束廻りの彫刻は見事

使っているケヤキ材も 大きく立派だ

(2023・5・17)

 

長久寺楼門

山門の奥に楼門 さらに鐘楼とつづく境内 山門をくぐると

2階建ての楼門が出迎える 屋根は銅板瓦葺きの入母屋

ただ銅板瓦は やはり桟瓦の形式 左手が庫裏になる 2階には高欄が廻っていて格調高い

楼門をくぐって 右手に本堂 左手に鐘楼があり 墓地は本堂裏の小高い丘になっている

(2023・5・30)

 

迦葉山鶏足院山門

上郷飯沼の竜坂を下り切った西側の やや高いところに禅院 段丘の下なので いつも逆光状態

茅葺は飯田下伊那では民家を含めて珍しい 真っすぐ奥に新しい本堂

いつもは通り過ぎるだけだから 単なる茅葺の山門と思っていたが 鐘楼門とは知らなかった

境内から飯沼集落方向 右写真は南側面 入母屋の形状がよくわかる

(2023・6・12)

 

仏性山阿弥陀寺仁王門

上飯田砂払の浄土宗寺院 右は系列の認定こども園・風越こども未来園

石段上に仁王門 なぜか狛犬が お出迎え

仁王像は右に阿像 左に吽像 持ち物は失われているが 折からマスクを捧げ持つ

屋根は本瓦葺きの入母屋で立派だが 構造は柱も細く 古材を使用 と やや貧弱

(2023・6・28)

 

長熊山運松寺山門

はじめて じっくりと拝見した 堂々とした薬医門

脇の説明版によれば 松尾神社(鳩ヶ嶺八幡?)の神宮寺の門を移設とのこと

総ケヤキ造りで随所に彫刻 立川和四郎富棟の作だという

(2023・7・31)

運松寺鐘楼門

墓地への入口に建つ鐘楼門 両脇には三十三観音が整然と並んでいる

建立は300年近くになるという飯田市の有形文化財

墓地側から参道方面 農地が広がっている 屋根は本瓦葺きで格調高い

墓地から本堂に向かうところにも 小ぶりな通用門もある

(2023・8・29)

 

南原山文永寺二天門

下久堅南原(みなばら) 寺境内より ずいぶん離れたところに ポツンと建っている

天竜川に向かっての長い参道 右が境内側からの姿

四天王はどれが誰だかはわからない 識者に聞いてみたいところだが 飯田下伊那には例がない

(2023・9・17)

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