古民家残像
知久町3丁目 大正町家・旧竹内青果店
(2025・10・25)
知久町3丁目で ひときわ目立つ重厚な町家 先日建物内を見学する機会をえた
大正2年に建てられたという 大火後には貴重な町家 8畳間が2列で3間つづき という平面
なお飯田大火後の復興区画整理での知久町拡幅に際し 曳き家後退し歩道を設けたという
西側3室が現在使われていて 左写真が道路側の土間
昭和20年代に始めたという青果店の売り場だったところ 右が 中の間から土間方向
一番奥は現在居間として使用の座敷 拭き漆の格調ある造作 右は増築部のDK
なお1階東側の3室は貸店舗として 時計屋や後年は餅菓子屋となっていた
南側の4尺の廊下には東と西に2ヶ所の階段があり 東側の階段からは3尺の中廊下で
8畳間3室が連なっている 現在は物置状態
西側の3室 手前から道路側に向かって並び 右は道路側から 逆側をみたところ
夏季には京町家で お馴染みの夏障子を使っていたという
東と西の隣家協会には卯建が備えられている 外壁は いわゆる黒大津壁だったようだ
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町家の通り庭は この時代つくっていないようで 3尺の通路で裏庭に出る形式
江戸後期・文化年間から7代目という当主の話では ご先祖は家具屋(指物製作)だったそうで
東側の半分は その作業場だったり 使用人のスペースだったかもしれない
一時は疎開の人も受け入れていたといい ひっそりと数家族が暮らしていた往時を想像してみた
知久町3丁目 旧竹内青果店
(2025・7・15)
知久町3丁目の南側に重厚な木造建物
屋根の両側には卯建が上がっている
大正2年の町家で 3軒先のキラヤができる前は青果店だった
おそらく丘の上では 今や最も古い町家ではないか
昭和22年の飯田大火の際は ここで火が止まったという
こちらは王竜寺川に沿った裏側から