師走・朝日町筋

※平成29年冬至/城下町筋・日の出 →jump

12月7日 午前7時13分 本町筋に朝日

しばらく前 たまたまの冬の日 飯田のタテ通りに朝日が差し込む光景に感動したことがある

中世飯田の町並みを想像していて ふと町筋の成り立ちと朝日との関連性が頭に浮かんだ

同7時14分 通り町筋

そこで冬至日を挟んで どのように町筋に太陽光が差し込むのかを確認してみたのだが

11月の飯田では 晴れた日には ほぼ川霧が発生し 朝日を眼にすることはあまりない

12月に入り しかもそれほど冷え込まない晴天の日に ようやく日の出を見ることができる

同じく7時15分 松尾町筋

高度の低い黄色い太陽の光は 1月末にかけて町筋を貫くが 中世当時の暦と対照すると

天正中期から文禄を挟んで慶長年間中頃まで約20年の旧暦(太陰暦)からは 数年毎に

閏月も入るので 現在の太陽暦(グレゴリオ暦)とくらべての 暦日の振れは非常に大きい

やはり7時16分の中央通り1丁目 道筋が北に振れているので まだ東側のみ

7時18分 知久町筋

たとえば元旦は 現在の1月の末から2月下旬まで動いており 一様には考えられない 

冬至日(12月22日)を当時の暦でみた場合でも 11月の初めから はなはだしいのは

1月末という変動ぶりだ ただ太陽運行の観察と中国古典から二十四節気は知識として

もっていたはずで 社会生活上の季節と地象上の季節は使い分けていたのではないか

12月22日冬至 7時18分 本町3丁目から見た矢筈峠に昇る太陽

また冬至日の日の出時刻については 明石の標準時と飯田の真太陽時との差や

飯田市街地と伊那山地との標高差を考えると 太陽が伊那山地から顔を出すのは

20分ほど遅くなる模様で もちろんその間にも太陽は南に移動しているので

写真のように伊那山地の氏乗山と曽山の鞍部から昇ることになるようだ

住宅を計画する際に 朝出かける時 朝日を浴びたいから 玄関を東向きにつくりたい

という人は現在でも存在する また朝の陽の光を浴びると 免疫関係に有効であり かつ

精神安定に寄与するという健康上重要な脳内物質セロトニンが分泌するという説もある

下図は建築設計資料集成(日本建築学会)から北緯35度の天球上の太陽位置図

図中時刻は真太陽時 また真南を上にしている

つまりその有難さは今昔を問わないと考えていいのではないか とくに寒くなる時期

これから冬に入っていく時候において 飯田の町筋を朝日が貫いているということは

たまたまではあるかも知れないが 意図的にも考えられたような気がする

このあと日の出位置は また北方向に戻っていくのだが 日の出時刻は地球の公転軌道が

わずかながら楕円を描いているために 1月初旬までは さらに遅くなっていくという

2013・12・29

平成29年冬至/城下町筋・日の出

風越山にも朝日がおりてきて

本町三丁目での日の出も間近

ここ3年ほどは天気が悪く観察できなかった

本日は冷え込んだが快晴の朝

同様に平行する町筋 通り町

松尾町でも

これは知久町筋 ただし12月21日の日の出

(2018・1・11)

 

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