飯田城址散歩

※NBS飯田城空撮 →jump

 

伊福屋商店地下倉庫

追手町1丁目の青果卸店 前から地下室があることは聞いていた

たまたま所用で店を訪ねた際 写真を撮らせてもらった それが旧飯田城の濠に当たるのかどうか

近くの遺構とは 位置的にはズレているし 当時の絵図からも それが伺えない 考えられるとすれば

明治初期に近くの不用の堀を埋める土を ここから調達し 逆に地下倉庫を造ったのか あるいは

大火後に造られたのかどうか 同年代の先代はすでに亡くなっている 旧知のオクさんに聞いてみたい

(2021・8・17)

 

堀端遺構 →jump

江戸時代初期の絵地図から

ほぼ明治維新まで堀氏1万石の居城 だが天守・櫓など当初からなかった模様

遺構としては赤門と空掘の石垣のみが残る

飯田藩は官軍の東山道軍への恭順は比較的早かったのだが

それ以前 禁門の変において 京都見廻り組として 会津の松平容保に協力

その恨みで徹底的に破壊された という説が地元では有力

銀座通りに濠があって そこから段丘の突端までが城址

現在3本の道路が続いていて

左が主税町筋 右が常盤町筋

その真ん中に追手町(おうてまち)筋を本丸まで真っ直ぐに歩く

左が銀座通りからの入り口 進むと登録文化財「追手町小学校」と白い飯田市立図書館

追手町小の玄関脇は元空堀の道路

下っていくと鼎台地の風景

同部分左には長野県合同庁舎

その奥には昔からの通路が谷川線へ下っり さらに橋北の馬場町へ階段で上る

その橋北台地を合同庁舎庭よりの眺望 眼下の建物は谷川線に面している

右写真は図書館横 東大と二つだけという 赤門

赤門脇にも桜 さらに合同庁舎の奥の旧桜丸に 枝垂れと合体した 珍しい夫婦桜

赤門にしろ夫婦桜にしろ少し無神経な扱い

まあ当時としてはやむをえないところか

さらに進むと本丸の前にやはり空堀 追手町小の横を下ると同じ様に鼎台地の風景

その先左側には谷川線に下る道路 奥には橋北台地の緑

ここから飯田美術博物館の敷地がはじまり 右手に正門

ここはその昔は飯田中学 移転後に飯田商業(現飯田長姫高校) そして移転後に現施設

飯田高校の卒業生 原広司東大名誉教授設計の美術博物館 現在足場をかけての外装補修作業

建物はいいが毎年のメンテナンス費用が大変らしい このあたり難しいところ

前庭に樹齢400年のエドヒガン安富桜が見事な姿で 桜シーズンには観光客多数

美術博物館裏手に廻ると鼎台地の眺望だが逆光 逆に松川附近から美術博物館を見上げる風景

美術博物館裏手には1本の桜が景色を添える

敷地を細い橋で結んで 飯田出身詩人・日夏耿之介記念館と柳田國男の旧書斎棟

柳田先生は飯田藩士の柳田家に婿養子の縁

 

美術博物館から追手町筋に戻り進むと左に 知る人ぞ知る やはり谷川線へ降りる通路

右には長野県消費生活センター 奥に長姫神社の鳥居

鳥居の手前の駐車場奥に同じ様に今度は水の手方面に下る通路は忘れられた存在

柳田書斎への橋の下をくぐって南へ かつては飯田長姫高校の生徒が城下グランドへ通う道

 

城址突端には旅館「三宜亭」があって 現在展望日帰り温泉施設を併設

先ほどの鳥居をくぐると長姫(おさひめ)神社 堀氏三代を祀った通称「ご三霊」 境内

右は柳田書斎を境内側から 風格のある木造建築

旅館「三宜亭」は台地突端の崖造り その脇に小道があって

右の台地を下る急斜面は水の手の坂道に出る

そこからの眺望はまことに宜しく 遠くの竜東台地

右の八幡台地とその下に広がる市街地の下段を俯瞰する

2008・10・3

 

飯田城復元鳥瞰図 (2017・1・15)

「週間 日本の城 no.118」 deagostini より

金澤雄記・復元 浅野孝明・CG

一番手前が山伏丸 つづいて本丸 次が二の丸 さらに桜丸・出丸

 

飯田城図屏風 (2017・8・29)

昭和58年に作成された城下復元屏風(飯田城ガイドブックより)

古地図から推測して描かれたようだ 全体にパースが効いていないので やや平板的なのは否めないが

風越山や市街地河川との関係はよくわかる また家屋など かなり細かく描き込んでいるようだ

個人蔵ということだが 実際にみてみたいもの ぜひ公開してほしい

 

丘の上の城下町全景写真

飯田駅前の観光案内所に掲示されている段丘上の旧飯田城と城下町全景写真

上とほぼ同じアングルでのヘリコプターによる実写版

中日新聞長野県版2011年1月21日付け 「空から!飯田城跡」というコラム内の写真です

 

NBS飯田城址空撮 (2018・5・6)

長野放送NBSでの特集番組 「和菓子のまち飯田の春」での空撮ショット

こちらは逆側から 下に りんご並木 そこから銀座通りをはさんで 三の丸方向

中央が本町筋 右に知久町筋・扇町 左に通り町・松尾町筋

 

追記・堀端遺構 (2014・12・21)

前述のように銀座通り東側は水堀の遺構が残っている また土地は旧飯田藩士末裔の組織・共同社の所有地

したがってそこからの借地という形をとっている

銀座5丁目・旧新美酒店の地下には堀跡を利用したワインセラーがあったとかで

水の手通り側からの入り口はシャッターで閉ざされている

同じく旧新美酒店の北側の倉庫跡地も道路からは2mほど低い

右はさらに1軒おいた 3階建ての旧料亭の地下駐車場へのスロープ

その後 上写真左の空き地は埋め立てられ 続いて旧酒店舗も解体準備作業が始まった

右は解体後 わずかにワインセラーの痕跡が残っている いずれ埋められてしまいそうだ

 左写真は黄色い倉庫の1階部分 テナント改装中で地下に続く階段があり倉庫として使っていたようだ

(2015・1・27追補)

銀座4丁目 文具のキング堂と隣接の柴田薬局では傾斜路を共有しての

地下駐車場 右写真 裏側・柳小路からもランプがあり地下への入庫が可能

左は銀座3丁目・堀端ビル地下への裏側の主税町からの傾斜路

右は銀座2丁目・旧さすたま店舗の地下倉庫 現在は埋め立てられてしまっている

同じく2丁目 旧さすたま の南隣のビルにも地下店舗がある さらに主税町方面に廻りこむと

澤村屋呉服店のビルにも地下があり 右のシャッターから階段で下りると「リュニオン」という飲食店

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