南信州観音信仰文化

 

丘の上観音像 →jump 飯伊百観音 →jump 三十三観音・白衣観音・観音霊場 →jump

大平街道 峠道三十三観音 →jump 

 

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道脇 馬頭観世音

松川堤防にずらりと並んだ石仏たち 右から5つが馬頭観音

右から2番目は丸石 ほかは舟形像 どうもあちこちにあったものを集めたようだ

左は愛宕町にて 明治40年 熊谷氏と読める

右は飯沼北条 天保10年 岡田氏と彫ってある

座光寺地区で見かけた 舟形像 2体

kちらは鼎名古熊・運松寺の参道に並んだ 丸石馬頭観音

これも地区の道路脇から 道路整備にともなって 移設されたもののようだ

(2023・2・26)

 

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六道輪廻六観音(七観音)

生き物は六道のいずれかに生まれ変わる という六道輪廻の思想から

観世音菩薩は それぞれの道で姿を変え 救済するという 六観音が生み出された

聖観音(地獄道)  十一面観音(修羅道)    千手観音(餓鬼道)

馬頭観音(畜生道) 如意輪観音(天道) 不空羂索観音(人道−天台系) 准胝(じゅんてい)観音(人道−真言系)

人道においては 宗派により 2種類あり あわせて七観音とする考え方もあるらしい

現生においても 33の姿に形を変え 衆生を救済するという 三十三応身思想が誕生したが

三十三観音像は 上記六観音(七観音)ほどには 一般化せず そのいずれかで表しているようだ

(2022・7・26)

 

三十三観音石

古代の祭祈空間だったとされ整備された恒川清水公園 その上の段に石碑類がズラリと並んでいる

その中のひとつが いわゆる一石三十三観音 以前の写真でみると当初からここにはなく

公園化に際し移設されたようだ また笠石も その時に置かれたらしい

ネット情報によれば天明5年(1785年)に建立されたようだ ただ風化が進み

知識がなければ 何が何だかわからない よく見ると小さな観音像が 6体づつ5段

さらに上部に3体が浮彫りされている

ほかに 南大島川の周辺に2基ほど存在するらしい 2度ほど探索したが 見つけられなかった

(2022・9・25)

 

阿南町富草三十三観音石

(地元紙・南信州 12・9 わがムラの石造文化財より)

国道151号から長松院参道にある三十三観音石について 詳しくかかれている

南信州文化財の会の鈴木信孝さんによれば 建立は享保二十年(1735年)

左下の写真は1988年ころ 同石の前での花見の様子だという

(2022・12・17)

 

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観音像の建立

最近読んだ本 戦後全国あちこちに建立された平和祈念や観光施設としての巨大観音像について

その経緯を研究した博士論文の書籍化である

 

丘の上観音像

 

信州飯田観音

飯田にも似たようなものがあるではないか と中央公園の北側 伝馬町1丁目の来迎寺を訪ねてみた

本堂の手前に 台座を含めると 高さ5mほどのコンクリート製の聖(しょう)観音

銘板には日夏耿之介揮毫とある ただどうみても聖観音には見えない

白い布を被った 高崎観音(1936年)や大船観音(1960年)と同じく白衣(びゃくえ)観音というべきもの

昭和35年(1960年)個人が寄進したらしい 当時は白かった その建立は けっこう話題になった記憶がある

 

正永寺魚籃観音像

さらに江戸町 我が家の墓地のある正永寺の境内にも見かけたことがあり 足を伸ばしてみた

本堂の右手前に 三十三観音のひとつ 魚のカゴを持った魚籃(ぎょらん)観音像

平成11年やはり個人が建立したらしい

 

黄梅院聖観音像

正永寺の東隣のエドヒガンで有名な寺院 本堂の右手前に聖観音像 これも個人の寄進

 

柏心寺聖観音像

箕瀬一丁目 本堂南の手水屋の東隣 やはり個人の寄進で 神社の狛犬と同じ方式

 

長源寺慈母観音像

同じく箕瀬一丁目 本堂右手前の意外と目立たない位置 下に幼児の姿があり

三十三観音にはないものの あの狩野芳崖の悲母観音像で定着した母性性を強調した慈母系か

緑青仕上げだが金属ではなくFRPのような気がする これも平成の寄進

 

大雄寺十一面観音像

境内に入ってすぐの鐘楼の手前に ブロンズ製の観音像

平成25年 瀬戸市在住の彫刻家・亀谷政代司さんの作 格調ある お姿だ

 

長久寺聖観音像

丘の上の墓地につづく隣は大宮諏訪神社という場所にブロンズ製の聖観音

像の後に廻ってみると 昭和39年 泰阜村出身の彫刻家・倉沢興世さんによる作品らしい

2022・7・11

 

阿弥陀寺聖観音像

砂払 阿弥陀寺の仁王門をくぐると 正面に千体観音堂 その左手の聖観音

 

本覚寺聖観音像

曙町のお寺 逆光ではっきりしないが 本堂と庫裏の間の正面に観音像

右手奥が墓地となっていて 規格型の墓石がびっしりと並んでいる

 

専照寺羊頭(?)観音像

枝垂れとその下の釈迦如来で有名な伝馬町2丁目の細道奥の突き当り

右の階段の右脇に不思議な観音像

頭の上に羊の角 馬頭観音ならぬ羊頭観音だ 銘板には西安碑本観音来座とある

日本では見かけない造形 中国・西安の碑本博物館に元ネタがあるのかも なお石材は白い大理石

(2022・7・14)

 

飯伊百観音

33の姿に変えて衆生を救済するという いわゆる三十三観音信仰は すでに中世には広まっていたようだ

また三十三札所巡礼も 西国三十三観音と坂東三十三観音にくわえ秩父三十四観音で 百観音まで発展

江戸前期には一般化していた模様だ さらには全国各地に同様の三十三札所がつくられたという

飯田でも江戸中期・寛永ころには飯伊百観音として本家にならっての

巡礼路が 伊那西国三十三番 伊那坂東三十三番 伊那秩父三十四番 と銘打って

観音札所が設定されていたようだ その詳細は上記図書にくわしい

 

伊那西国三十三番札所

 

運松寺慈母系白衣観音像

伊那西国十四番札所 名古熊神社の東隣 鼎段丘の北端に位置しており 全体的に明るい雰囲気

墓地に通ずる鐘楼門は飯田市の有形文化財でもある

両側に三十三観音を並べた鐘楼門を通して 正面に観音像が屹立しているのが見える

名古熊神社側の駐車場からも 直接墓地に出入りできるが できれば正面から入りたい

門の手前左右に 整然と並べられた 33体の船形像

伊那山地を背景に建立された観音像は白衣観音の形だ 右奥の雪山は仙丈

幼児が3人付いていて慈母系の白衣観音像となっている 水子供養も兼ねているようだ

(2022・8・9)

 

瑠璃寺聖観音像

伊那西国三十三番札所 高森町大島山の名刹

山門の右側 自然石の台座の上に ブロンズ製の格調高い聖観音像

(2022・9・11)

 

伊那坂東三十三番札所

 

願王寺聖観音像

鼎段丘の傾斜地 地籍は鼎上山の伊那坂東三十一番札所

本堂前左手と さらに鐘楼左手にブロンズ製のふたつの聖観音像

境内を北側へ少し下ると墓地があり その中心に聖観音像 背景は旧飯田城の段丘

船形観音像も 境内に散開して置かれている

(2022・8・21)

 

長清寺三十三観音

飯田市中村 飯田東スイミングプールの南側 伊那坂東二十三番札所

いつもの泳ぎのあと 石段を登り山門をくぐると 本堂へ向かう参道の両脇に船形観音がズラリ

船形像は右に一番から十二番まで 左に二十二番から三十三番まで

順番と観音の種類は確認していないが 本家・坂東三十三札所の順番と本尊にならっているような気もする

 いつごろ造られたはは定かでないが 明治43年の碑があった その際 整列してに置かれたらしい

なお本堂裏側の墓地の東側に 聖観音 これは共同墓の真ん中に建っている

(2022・8・27)

 

伊那秩父三十四番札所

 

法運寺白衣観音像

喬木村伊久間の旧道の山際 伊那秩父五番の札所

伊那秩父の寺は天竜川の左岸 いわゆる竜東地区に多い

カーブミラーが旧道 そこから石段で山門へ

山門の右手前に白衣(びゃくえ)観音

山門くぐって本堂の左手前にも ブロンズ製の白衣観音

(2022・9・15)

 

三十三観音・白衣観音

観世音菩薩が33の姿に変えて衆生を救済するという三十三応身の考えから

江戸中期 土佐派の絵師が描き表したものが 三十三観音像の最初とされている

経典にはないことから 六観音(七観音)とは異なり 俗信とされているようだ

ただ白衣(びゃくえ)観音のように すでにポピュラー(高崎観音・大船観音など)になったものもある

左は来迎寺の白衣観音(飯田観音) また その女性的な姿から 慈母系の造形に発展した白衣観音もある

右は運松寺の慈母系観音 

左は長源寺の慈母系観音 右は正永寺の魚籃(ぎょらん)観音 

魚籃観音も三十三観音のひとつではあるが 飯田下伊那では少ない

東京都港区には 魚籃坂という地名もある 由来は坂の中腹に 魚籃観音を安置した魚籃寺からという

(2022・10・13)

 

観音霊場・三十三観音立体像

観音霊場 と称して 三十三観音立体像が並べられた寺院がある

どうも石材店の主導で 造られているらしく 今までのあちこちの観音像と同じく

それぞれ個人の寄進によって 建立されているようだ

ただ令和の時代 それらが一般的に認知されるのかは わからない

 

大願寺三十三観音像

天龍峡を見下ろす 龍江の高台

山門前 西側の道路沿いの駐車場に大きな聖観音像 その周りに三十三観音が配置されている

その全てが個人の寄進によるものだが 飯田下伊那では三十三観音の立体像は珍しい

なぜか この寺は販伊百観音の札所にはなっていない

それにしても雑草の繁茂はいただけない 石像は現代狛犬と同様に中国製だろうか

(2022・11・22)

 

関昌寺三十三観音像

阿南町富草の古刹 織田信長も飯田を視察する際 立ち寄ったという

境内に隣接する丘の上に巨大な聖観音像 高さは8m 県下最大だそうだ

その周囲に二重の輪のように小型の観音像が配置されている

内側には聖観音像 外側には三十三観音の立体像

そのそれぞれに お参りできるわけだ ここも飯伊百観音とは無縁の存在

小高い丘の上だけに 南アルプス方面の眺めは最高

黒御影石に刻まれた山名表示板

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ほかにも売木村法蔵寺にも 三十三観音立体像が安置されているという

(2022・12・5)

 

大平街道 峠道三十三観音

巨大な名号石の脇に小さな舟形の如意輪観音像がある これは復元したもの

平成24年に羽場まちづくり委員会が整備した三十三観音像の復元趣意書

左は五番の千手観音のようだが 右は六番の千手観音像

八番はやはり十一面観音で 隣の丸石は馬頭観世音 右は十一番の准胝観音

道路上り方面左側に十七番の十一面観音 右の二十四番は千手観音のようだ

飯田峠手前の道路左側に大きな三十三番の十一面観音 左側には新しい十一面観音

以上の観音の種類と番号配置は 本家の西国三十三巡礼札所の順番と本尊に倣っているようだ

(2022・7・19)

 

笠松峠山道観音

笠松山の登山道は 古くは鳩打林道から 大平集落へ抜ける峠道である

笠松山には三十三観音すべてがそろっていて ネットでも記述が多く貴重な存在だ 登山道入口に案内板

その右脇に一番観音 右は五番観音

 さらに十番観音 なぜか十八番は道脇の奥まったところ

 二十四番観音の手前で梅ヶ久保ルートに合流 右は二十六番

さらに登って三十一番 汗びっしょりで笠松峠に到着 三十三番観音ほか石碑多数

標高は1260mくらいで ここまで約1時間

頂上は眺望抜群 飯田中心市街地が バッチリ

(2022・12・27)

 

秋葉街道小川路峠山道観音

上久堅の越久保を過ぎて 右は観世音堂 ここが一番観音

左 十一番観音 旅人には励みになる石仏 右は二十番

そして三十番観音 もう少しだ このあと尾根を進んで

峠に到着 木の鳥居と三十三番観音

上村側にも同じような観音 こんどは番数が減っていくわけだ

ただ番数の表示板は上久堅側とは異なる このちょっとした平にも茶屋の雰囲気

また少し開けた鞍部 ここにも「松田屋」という茶屋があったという

そして新緑の遠山谷

(2023・1・7)

 

梨子野峠 山道観音

浄玄寺下の辻から山に入っていく

しばらくは田舎道で石仏など まとめられている 湯川沿いに上がって 桧林を抜けると青木集落

ここにも山道番観音が下ろされてまとめられている

峠に到着 青木の平から45分

御岳遥拝の石碑が小屋の前にある たぶん その昔には茶屋があったのだろう

峠の小屋から少し戻って 下清内路への下り 峠のすぐ下で方向転換 沢筋に下りていく

基本的には沢下り そうして舗装道路に しばらく下り 途中から右手に入ると

観音山公園 みの道当時の清内路側の三十三番観音を 国道の開通にともない大正9年に移設したという

馬車や荷車で通れる道路の開通に喜ぶ村人たちの心情が想像できる 山本側も青木集落に降ろされている

山道三十三観音は歩く人にとっては励みになるもので 峠道には必ずあったもの

公園から見た集落中心部 右の林部分が諏訪神社

(2023・1・22)

 

風越山 山道観音

登山道の傍らの石仏 これが一番観音のようだ

滝の沢川に沿って登っていく 四番観音

左は五番観音と水場 ちょっとした空き地が駐車場 ここへクルマを置けばラク

石灯篭を出発して松林の中を登っていく 七番観音

さらに10分登って秋葉の別れ道 秋葉観音の碑があって ここも休憩ポイント

石段を登ると虚空蔵山の山頂 ついで風越山を目指す

一旦少し下っての 登りはなに今庫の泉にいたる分かれ道 観音の番数は不明

さらに登ると「矢立木」

そこから石段を登ると重要文化財 白山神社奥宮(1460m)

ある資料によれば 26体が現存しているという

(2023・2・12)

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