上代古墳トリップ

恒川清水(ごんがしみず) 史跡官衙遺跡

国道153号 座光寺高岡に かねてより進められていた遺跡公園が完成

先日 市長出席のもと 竣工式が行なわれたという

国指定の史跡 恒川官衙遺跡の一部で 様々な出土品から古代の祭祀場所だったようだ

もともと湧水池として知られていたが 水神の碑とともに 親水プール化

これが在りし日の姿 石で囲まれた円形部分に水が溜まっていた時期もあったが

その後 しばらくは水も枯れ放置状態だった

 

座光寺・恒川清水(ごんがしみず)公園化

遠くに県指定の史跡・高岡の杜古墳 広い野原には官衙遺跡があったという

そこから東の国道脇に古代祭祀として恒川清水がある

官衙遺跡とあわせて公園化が進んでいる

かなり昔には小さな池だったが しばらくは水もなく放っておかれていた

清水右上の十王堂には石像が納められている

(2022・5・10)

 

世に古墳マニアは けっこう存在していて その姿かたちにそれぞれ一家言をもっている

飯田周辺の古墳は 全国的にも数は多い方らしく 道を歩いていて 意外なところで

出くわす存在でもある もちろん上代の道やら集落の姿を 周辺の遺跡とともに想像する

楽しみもあるようだし また永い歴史の中で どう扱われてきたかも興味のある問題で

それらを景観的にとらえて 勝手に解釈してみたい

 

平成28年6月17日 文化審議会は飯田古墳群のうち13基について国史跡指定を答申しました

 

※座光寺・新井原十二号古墳 →jump

飯田市教育委員会発行リーフレットより

 

座光寺古墳 →jump 上郷飯沼古墳 →jump 八幡周辺古墳 →jump

松尾・獅子塚 →jump 上溝古墳群 →jump  妙前古墳群 →jump

駄科古墳群 →jump 塚原古墳群 →jump 上川路前方後円墳 →jump

    

北方・西の原遺跡 笛吹二号 前方後方墳

(2016・3・1)

高森町から飯田市街をかすめ飯田インターまで通ずる4車線道路 羽場大瀬木線の工事が進行中

その計画地での遺跡発掘が行われており 古墳出土により現地説明会が開催された

目測では200人ほどくらいかな と思ったら 後日の報道では350人が参加したという

地元・北方区の居住者が多かったようにみえた 3班に分かれ係りの説明

残土の小山の上から見た 前方後方墳 左が後方部 右が前方部で北向き

周辺での前方後方墳は3例目で4世紀ころのものと推定されている

前方部から後方部を見たところ 位置的には三州街道が段丘を登るところ

早くから平に削られ農地として利用されていたようだ

前方部・後方部のくびれからの出土品

まともに道路の敷地となる部分のため 今後どうするか興味のあるところ

 

座光寺周辺古墳

高岡の杜(高岡一号古墳)

JR飯田線・元善光寺駅から北へ200m 座光寺の旧国道沿いに通称・高岡の杜がある 上代の古墳で

正式には高岡1号古墳と呼ぶらしく 長野県の指定遺跡となっている

全長73m 全幅35m 全高6mと下伊那最大級らしい

高岡神社として 後円部の頂上に社がある 国道の逆側には玄室の入り口

左は社裏から前方部 右は逆に前方部の頂上から後円部を見る

神社らしく針葉樹の杜となっていて昼なお暗い

こちらは南側 駅方面よりの全体像 広場があってゲートボール場のようだ

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座光寺・新井原十二号古墳

(2020・5・21)

右のやや小高い部分が古墳とは JR飯田線を陸橋で越える座光寺の国道151号の脇

案内板によれば ホタテ貝型古墳の真ん中を 線路が真っ二つに走っているとのこと

そういわれれば 何となく古墳に見えてくる 右写真は線路の反対側

たまたまここに耕運機用の踏切があり そこから高岡古墳方面 掘割の形で線路が通っている

 

座光寺古墳めぐり

(2013・6・9)

最見塚古墳 最ミ塚あるいは最後塚とも 2本のエドヒガンが見事

民家の庭先で登るには気が引けるが 2基の宝篋印塔

左は元飯田工業高校の東側の石行二号古墳 桑の株が植わっている

右は高岡古墳から西へ 旧道の西側の平地二号古墳 こちらは桧の若木

旧飯田工業高校北側の傾斜地も畦地一号古墳 けっこう規模は大きい

石室が見えて 上からは旧飯田工業の校舎を望む

そこから1段下の旧道沿い 旧飯田工業の弓道場の脇に 芝に覆われた畦地下古墳

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石垣古墳一号・二号

(2013・6・27)

座光寺支所の南側 竜西一貫水路に面して2基の古墳 手前が石垣一号 奥が石垣二号

石垣一号には見事な枝垂れ

その脇に立って座光寺の平を睥睨する

一方 石垣二号古墳は竹薮で 個人の墓地となっている

 

上郷飯沼古墳2題

(2013・4・16)

雲彩寺古墳(南条天神塚古墳)

上郷飯沼・雲彩寺の裏山 全長78m 飯田下伊那最大級の前方後円墳だという

雲彩寺の入り口は国道153号から参道を入っていく 山門は旧飯田城の遺構らしく

また半分ほど見える枝垂れも有名だが この裏に古墳があるとはなかなか想像しにくい

右は境内の墓地 その丘が古墳の前方部だという

その前方部の頂上 右は庫裏の裏手にあたる後円部の玄室への入り口

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化石一号古墳

上の雲彩寺から南へ40mほどだが 地籍は別府になるようだ やや高台に小さな円墳

奥には隣接する経蔵寺の墓地があったりして

地元では恐ろしげな別名がいくつも付いているらしい

(興味のあるかたはGoogleで検索してください)

いくつもの石仏が並べられ 頂上には石段で登ることができる

 

八幡周辺古墳

御射山獅子塚古墳

アップルロードを市立病院脇から松川方面に下っていくと 左の墓地の奥に大きな前方後円墳

全長63m全幅43m高さ6m

後円部には桜が植わっていて 春先には遠くからも目立つ存在

ただ墓地の他は全て民間宅地と近接していて 登るにも気がひける

左写真のガードレールが前方部を通してアップルロード 右写真は前方部から後円部

前方部から後円部の頭越しに飯田市街と風越山

 

八幡台地周辺古墳

(2013・8・27)

代田山狐塚古墳

短大の段丘の中腹 代田山狐塚古墳 遊歩道は整備されている

30mほど登った林間 植林された杉は20年ほどの樹齢か 4世紀ころの前方後方墳だといわれるが

ほぼ頂上からも周囲の眺望は利かない

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八幡山古墳

代田山から道ひとつ北側の八幡山 その台地上の八幡山公園の中

マレットゴルフ場からは それらしく見えるが 帆立貝型という資料もある

頂上からの公園方向の赤松林

 

松尾・獅子塚巡り

(2013・10・16)

獅子塚とは松尾周辺では前方後円墳を指す通称のようだ たしかに獅子のような形ではある

羽場獅子塚古墳

最近の調査結果から前方後方墳の可能性が指摘されている (2013・12・24)

姫塚から東方向 段丘の崖に面して 前方部は削られて児童公園となっている 南西方向から

後円部には例によって小さな祠など

左は頂上から松尾方面 ハバとは崖地を指す古くからの地形を表わす言葉らしく

 右は崖に面した卸売り団地方面

その卸売り団地上の道路と用水路から児童公園へのアプローチ

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水佐代(みさじろ)獅子塚古墳

桜の季節に訪れてみた 樹齢350年というエドヒガンには「お立符(おたちゅう)桜」という名前がついている

右は後円部の若木 (2016・4・10)

松尾水城地区 南やや西よりから

前方部にはエドヒガンの老木が植わっていて 春先には見事な桜風景 東側には民家が隣接

奥の後円部にはやはり祠 右写真は後円部より前方部を見る

北東方向から後円部

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代田獅子塚古墳

JR飯田線の西側段丘の上 西側からの田圃からの遠望はまさに獅子の姿

やはり前方部が南 後円部が北に位置している

ただ後円部は民家の敷地で厳重にフェンスで囲まれていて入ることは不可能

前方部には登れそうだが別の民家が近接していて 入るのは遠慮した

東側からの段丘下からの眺めは民家の間に わずかに後円部が確認できる

もう少し北側に廻りこんで線路脇のやや高台の墓地から やはり後円部は民家の間

 

上溝(あげみぞ)古墳群

上溝神社古墳2題 (2013・9・25)

上溝天神塚古墳

国道151号から少し東に入ったところの天満宮 その裏手に古墳

というか前方後円墳を半分削って神社を造ったということ 東側には玄室入り口

神社北側からの全景

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上溝姫塚古墳

天神塚から北へ200mほど これも前方後円墳で後円部が残っているという

石段を登ると ここにも神社があるが 樹木で周囲の眺望はなし

 

まちなか古墳2題 (2013・9・11)

おかん塚

なんといっても名前がいい 八幡旧街道から座光寺道へ 国道に抜ける手前の宅地の間

もともとは前方後円墳で前方部が切り取られてはいるというが存在感はある 頂上には東向きに石碑

「於かむ塚」と彫ってある 道路からは逆向きになるが さらにその真下 東には玄室が姿を現している

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上溝四号古墳

おかん塚から50mほど先に行くと 今度は左手に築山のような小さな古墳

左は裏側からの姿 このあたりは いたるところに古墳があり上溝古墳群と呼ばれている

 

妙前古墳群

(2013・5・4)

天竜川にほど近く 1段上の松尾新井地区の畑地に古墳が散在

妙前九号古墳 ここはいつもの自転車コースで キチンと調べなきゃいかん と思いつつ通るところ

別名が「妙前庚申塚古墳」で 庚申塚やら石仏が多数集められている

道路を挟んで南側の墓地の中に妙前八号古墳 別名「妙前丸山古墳」 その奥に七号古墳

左が妙前七号古墳 右はそれより20mほど西のやはり墓地の中 少しわかりにくいが妙前六号古墳

さらにアパートの西側に妙前五号古墳 そこからさらに西側へ100mほどのところに妙前二号古墳

逆に東側に戻ると民家の庭に小山 確認はしていないが 大塚古墳と呼ばれる妙前三号古墳ではないのか

またそこからさらに東側に20mほどのところに やはり民家の裏山として立派な石垣がある

これも確認できないが 位置的にみれば坊主塚古墳と呼ばれる妙前四号古墳と推定できそうだ

そうすれば一号があるはずと 周囲を徘徊してみると二号の西側の民家の庭に

なにやら階段状のものが見えた 多分これが妙前一号古墳であろうと勝手に想像してみた

 

駄科古墳3基

(2013・11・17)

十王堂の塚古墳 (塚越1号古墳)

左のお堂が十王堂 右手東方向が前方部

逆に東北側から 西には民家が接している

後円部は枯れた雑草が厚く 入れなかったが上部の石碑を通して 前方部東方向

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平塚古墳

十王堂古墳から西に300m 傾斜地に小さな円墳

やはり小さな祠があり 右はそこから東方向を見下ろす

竜丘村誌によれば この周辺には ほかにも2・3現存しているようだが確認できなかった

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権現堂古墳

さきの十王堂の塚から南へ900m

なかなか立派な前方後円墳で これは東方向から 左が前方部 右が後円部

南に廻って前方部から

こちらは北側の後円部から 西側からは民家やアパートが数軒あり見ることができない

その後円部はここからも登れそうだが 接する民家の庭先から 許可をえて後円部へ ここにも祠

前方部から後円部を見る

 

塚原古墳群

二子塚(塚原一号)古墳

大きな前方後円墳 全長76m全幅41m高さは明記されていないが7m近いと思われる

国道151号 桐林のサンヒルズ下の信号の南側の畑の中

周辺にはホタテ貝型や円墳がいくつも存在するが その塚原古墳群を代表するもの

しばらくは桑畑で覆われていたらしいが 今はそれなりに整備されている

登り道がついているので 上ってみると

左は後円部から前方部 完全に逆光状態 右写真は逆に南側の前方部から後円部

前方部から さらに南方面の眺め

こちらは後円部から東側・天竜川方面 赤い橋は時又の新天竜橋

逆に西側の国道方面と山の上にクリーンセンター 右へ行く道路は川路区画整理地区方面

ほとんどのクルマが信号で左折して下段に向かう

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塚原古墳群

内山塚(塚原2号)古墳

直径30mの円墳だそうだが 言われないとわからない存在

 

鎧塚(塚原五号)古墳

こちらは全長44mの帆立貝式古墳 帆立貝式は円墳に鈍角二等辺三角形が付いた形

 

鏡塚(塚原四号)古墳

これも帆立貝式で全長44m 柿の木が植わっている

 

国道151号とその側道で1/3が消滅

 

上川路前方後円墳

(2014・11・20)

馬背塚古墳

国道151号開善寺の掘割から西へ150m

全長48mだが東の前方部と後円部両方に玄室

前方には祠があるが後円部は柿ほかの畑

中腹の石柱から南方向 林が国道を挟んだ開善寺

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御猿堂古墳

これは国道より東側 全長65mで西側の前方部からの全体像

民家に囲まれていて ずっと単なる円墳と思っていた

左写真案内板の民家の間の墓石群の小山が後円部で 右写真はその中腹の玄室入り口

前方部から東の後円部 前方部は墓石も 墓地形式も新しいものが多いようだ

逆に後円部から前方部を見たところ 全てが墓地というのは壮観だ 後円部の墓石は新しいものは少ない

 

川路旧道古墳

(2015・1・22)

坂裾塚古墳

川路の旧道(遠州街道)をあるいていると 突然 民家の庭先に現れる

小さな円墳だが 同様なものが この旧道沿いにいくつも見られる

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正清寺古墳

上の坂裾塚から東方向 区画整理の終わった一角に原形をとどめない姿

長さ47mの前方後円墳だというが

左は北側から見た後円部 右は前方部を西側からの姿

その北側の前方部から後円部をみたところ

*

なお以上の古墳の詳細データの大部分は 北関東在住の古墳マニア「昇寛」さんのHPを参考にしています 

2013・1・7

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