ノースアップor ヘディングアップ

追補:両部曼荼羅の上下(注補足) →jump

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追補/案内板の上下

(2012・4・26)

飯田動物園周辺のガイドマップ案内板についてのケーススタディ

もうすでにリニューアル工事は終わり一般開放されているが

工事途中の左にあった工事概要案内板について市当局に苦言を呈したい

配置図は北を上にして描かれている 設計図をそのまま持ってきたようだ (ノースアップ)

ここに見えるのは小動物舎で 配置図では右上の建物 ヘディングアップ という感覚では全く逆の位置となる

つまり見るほうは南(正確には南西)に向かっているのだから 南を上に描かれるべきなのだ

すぐ近くの公衆トイレ前の飯田市周辺案内マップも南に向かって見ることになるが

ここではキチンと南を上にして描かれている

さらにその裏側にある市街地案内マップでは北方向(正確には東北)に見ることになり

今度は上下を反転させ 北を上にして描かれている

付け加えると距離の同心円も記入されていて 非常に親切な地図となっている

これは公衆トイレ脇の駐車場の国道256号沿いに 市役所をバックに建てられている案内マップ 

上の案内板からは90度 左に振った位置関係になる(正確には西北方面)

わかりにくいが案内板の左右方向が地図の水平方向になる

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以上3枚のマップは見る人の位置を想定し それに応じた ヘディングアップ で描かれていて わかりやすい

案内板を設置にあたっては 常にそのあたりを検討して地図の方位を決めたいものである

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1) 地図のどっちを上にするか 

  北を上にする(ノースアップ) 進行方向を上にする(ヘディングアップ)

  カーナビでの表示には両方できるようになっている

  初心者には ヘディングアップの方がわかり易いようだが

  ブログなどでも論争があって、ベテランは ノースアップを推奨 

  自分の位置を常に把握している、という点ではNU表示が適しているらしい

  視覚認識からいうと、なかなか重要な問題で少し検討してみたい

NU表示                            HU表示

自分の位置は画面中央                自分の位置は画面中央下寄り

 

2) 空間把握には ヘディングアップ 

  オリエンテイリングやトレイルランニングなどのタイムレースでは

  片手に畳んだ地図を持っての、HUとしての使い方が主流

  ただこの場合も磁石は必携で、親指につけるサムコンパスが普及

  登山の場合、基本はNUだが瞬間的な位置確認にはHUとして

  地図を読むのが常識のようだ

  つまり両方の見方を適宜使い分ける技術が必要ということになる

 

3) 住宅図面の見方

  建築図面では配置図、平面図ともに ノースアップで描くのだが

  一般の人達からみると、図面から空間を想像することは難しい

  配置図では、道路からのアプローチではHUの必要があり

  平面図では、日常生活が居住性から、南を向いた生活空間意識のためと思われる

  戦前の住宅の図面では、南を上にしているケースも結構多い

  毎年短大の住居学では、その点から始めていて

  配置図や平面図を見る場合、HUにして見ることを奨めている

設計・大熊喜邦(1922年)                  設計・山田 酵(1924年)

 

4) 景観地図での考え方   

  景観構造を考える場合の地図の使い方については、悩むところだが

  以上の認識に基づいて、基本的には ノースアップで視点を明示し

  状況に応じて ヘッディングアップを使う、あるいは並列で表示する必要があるかも知れない

虚空蔵山からの俯瞰

左NU図のa地点から見たところ

右はHU表示

同様にNU図ではb地点を少し東に下りたところからの眺望

HUでは ほぼ東向きの視線

2009・3・19

なおカーナビの進歩は著しく もはや上にあげたような論争は影をひそめ

実際のパースペクティブにより近い表現になっているようだ

追補:両部曼荼羅の上下   

  最近 空海に関する本を読んでいたら いわゆる密教の曼荼羅についての記述があった

  日本における曼荼羅は一般的に 胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を並立させている

  この両部不二という考えは もとはといえば空海の唐での師 「恵果」 によって編み出され

  空海によって移入されたといわれているが 面白いのは胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅では

  その方位が180度異なっている点である

  要するに前者では曼荼羅の上が東をあらわし 右へ南 下へ西 左へ北という方位であるという

  後者においては上が西 右が北 下が東 左が南となっているらしい

  そして掛ける際には胎蔵曼荼羅は東の壁面 金剛界曼荼羅は西の壁面だという

  やはりここでも上方向が視線の向きをあらわすヘディングアップがなされているのだ

  つまりHUは人間としての本質的な感覚 イメージ・スキーマのひとつだということができる 注1 →jump

  さらには もともと曼荼羅の中心は大日如来つまり太陽であるから

  一説によれば朝日の方向を指すという見方もある

  となると西を上とする金剛界は夕日の方向になるわけで「日想観」という浄土教思想

  つまり阿弥陀浄土があるという西方に沈む夕日を観想する という至彼岸の思想が

  そこから生み出された という解釈もできないことはない

  今後の研究課題である

2011・10・9

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注1

ただ最近読んだ言語学の本 ガイ・ドイッチャー著 「言葉が違えば、世界も違ってみえるわけ」 によれば

例のクック船長によるカンガルーという言葉の元になった原住民グーグ・イミディル語では

その方向感覚はノースアップ(地理座標系)によっていて むしろヘディングアップ(自己中心座標系)は

理解できないといい 世界には少なからず そういう民族が存在するとしている

つまりその活動範囲の狭さに原因がありそうだ というのだが それはとりもなおさず文化ということで

上記のようにイメージスキーマを人間の本質的な感覚とするのは誤りなのかもしれない

2013・1・24

 

 

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