堀割り・階段坂・隧道 額縁効果とパノラマ景観

 

階段坂 →jump  隧道 →jump

 

駄科国道擁壁補強 →jump  北方国道擁壁補強 →jump

 

阿智村清内路 小芝の掘割

国道256号 昼神温泉から旧清内路村に入ったところ

右のガードレールが現国道256号 左が旧道で 鎌倉の切通しに似ている

左写真 奥が清内路側 右写真は逆に奥が昼神温泉側

明治42年に着工し数年かかったという (旧道の全通は大正9年か?)

犠牲者も出たらしく 心霊写真が という怖い話も

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 近くの 「山河料理 掘割」の主人の話では 上部は もっと狭かったという

つまり当初は短い隧道を手で掘ったもの と考えていいのではないか

それが段々と崩落を重ねて 現状のようになったのではないか と思える

(2022・12・22)

 

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1) 掘割り あるいは 切通し

 橋の技術文化史とともに 土木技術の進展は坂道の景観をも大きく変えることになった

 勾配を稼ぐための曲がった道路が 当初はトラックによる土砂や材料の運搬によって

 さらには重機の普及あるいは擁壁技術の進歩から 切土や盛り土を多用しての

 曲がりの少ない坂道の建設が可能となり 道路景観が変化する大きな要因になっている

国道256号北方から切石へ降りる掘割り 昭和23年に開通

盛土部分のパノラマ ただし電線類が邪魔

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 ただ鎌倉にある有名な切通しは 大きな岩を鑿で穿ち造った都市防御のためのものだが

 飯田周辺ではそこまでの歴史はなく むしろ昭和初期から現在までに造られたものである

そんな峠の開鑿を切通しとし 坂道の屈曲を直線状に開削することを掘割り と呼びたいが

 この近辺では両方とも堀割りと呼ばれることの方が多いようだ

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スケールは小さいが鼎下段から中段への掘割り 左が坂上から 右が坂下より

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 一般的には掘割りと盛土はセットになっていて とくに傾斜に対し直角に造られた掘割りでは

 下る際には額縁効果で大きく見えていた風景が 盛土部分ではパノラマ景観に切り替わる

そんな ビューポイントとして楽しめるところでもある

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運動公園通り三日市場交差点からの下り 切土部分が少ないので額縁効果はあまりない

この通りは新しい道路なので 小さな掘割りが頻繁に現れている

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毛賀から駄科に上る国道151号の掘割り

ただS字状に曲がっているので パノラマ景観は生じていない

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典型的な切通し景観 駄科から南原橋へ向かう場所 古そうな感じだが橋の手前下に旧道があり

現在の南原橋の架橋に伴い 掘られたもののようだ

いわゆる竜東地区の山間部を越える道路では小規模な切通しはあちこちに見られる

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上久堅・下平への入り口の峠の切通し ここのバス停は掘割という名前

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千代・米川への峠の切通し その昔は山道で越え 一時期はトンネルがあったという

そこを掘り下げたものだが 下りはヘアピンでもって曲がらざるをえないほどの高低差がある

 

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国道153号駄科掘割擁壁補強

長らく工事中の一方通行で渋滞していた駄科の国道151号

西側擁壁は既存石垣にアンカーをとってのコンクリート補強

現状見えるのは 横に溝の入った 窯業系のパネルの型枠のようで 4周のビスとともに打ち込み

さらに上部もコンクリートの法枠吹き付け

以前の樹木の繁茂する掘割が すっきりとした

(2020・5・10)

上記工事から1年 今度は掘割の東側部分の法面補強 毛賀側から

工法は前回と変わらず 型枠兼用の既製コンクリートパネルの使用

こちらは駄科側からの擁壁補強状況

補強コンクリートの厚みが増した分 歩行者の通行は ほぼ不可能

(2021・7・1)

 

国道256号北方掘割補強

段丘を直角に下りる坂道では 両側に擁壁が必要となる

昭和23年ころ新設された この国道の擁壁は 右(東側)が野石積み 開削当初からの擁壁

左(西側)はブロック積みで それ以降に積み直されたようだ ことによったら歩道設置に伴ったものかもしれない

その東側擁壁の補強工事が 道路を一方通行にして行われた

既存の野石積みの上に鉄筋を並べ コンクリートで補強

ほぼコンクリートをうち終わり型枠解体 出来形が現われてきた

一方通行も解除され 以前通りに供用されている

(2022・12・13)

 

2) 階段坂

 古くから使われてきた小道は一般的に道幅も狭く急勾配であり それが舗装されたときに

出現するのが階段坂である 当然クルマの通行はなく歩行利用のみとなる

馬場町から谷川線に下りる階段坂 右は上り方面

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動物園脇から愛宕坂に降りる階段道路

ここを降り道なりに右・左と曲がりながら下ると愛宕坂の街並みを見下ろす階段に出る

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 とくに城址周辺に多く見られる空堀跡を道として利用する場合は

 斜面を直角に上下することになり とくに下る際には額縁効果の大きな風景となるが

 掘割りのように盛土をするわけではなく そのまま下に降りるかたちで

地形的には凹部を降りることになり 水平視野は限定されることになる

追手町小学校脇の空堀跡を下る グランドに通ずる追手橋をくぐると 階段で水の手線に降りる

水の手線を横断して さらに松川方面に降りていく階段道路の下部はパノラマ景観だが視点は低くなる

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こちらはそれより1本西の道路 松川方面の眺めはいい

右写真は城址の逆側 北の谷川線に降りる階段道路 橋北台地を見ながら降りるが

木々の繁茂で眺めはあまりパッとしない

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 ただし丘を上る古い小道の場合はジグザグに上ることになり その折り返し点で

 パノラマ景観が生ずることもあり 段丘風景を楽しむことができる

 特殊な例では擁壁などのメンテナンスの階段でも大きなパノラマ風景が現れる

 この場合も上りながら振り返って眺める という風景の方が感動的な気がする

羽場坂からバイパスに下りる 左が最上部 右の住宅で視界は狭い 右は斜面に沿って下りる階段

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鼎一色の階段坂 段丘に沿ってクネクネと曲がりながら降りていく

この先 凸部での眺望は非常に良い

左は名古熊の中段に上がる階段坂 近くの「みつば保育園」や

下段の鼎小学校・鼎中学校の通学・通園路としてよく使われているようだ

右は下伊那農業高校下の近道 同高校や飯田長姫高校生徒の通学路

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県営松尾団地西側の水道菅管理道路

ちょっと近づき難い場所にあるので 一般的な景観とはいえないが風越山を背景にした市街地が望める

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以上今回あらためて現場に足を運んでみて 今まで抱いていたイメージが

現場と違うことに驚かされた とくに階段坂では 大きなパノラマ景観があるものと

思っていたのだが 階段の降り口では 意外に水平視野が少ないのだ

ところが数段あるいは十数段降りたパノラマ景観があるところでは 実際は

視点は下がってしまっているのだ つまり脳内イメージは それらを繋ぎ合わせ

水平視野の拡がりと額縁効果の望遠風景を総合化して記憶しているようなのだ

景観の脳内イメージという点で なかなか興味深いところである

2012・6・16

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補足・羽場 JR階段坂

羽場の段丘上の小道から羽場坂へ下る階段坂

折り返すことなく そのままJR飯田線桶屋前踏切を渡り 下の羽場坂へ降りる

高さは30mほどだから 踏切から見上げると なかなかの迫力

(2014・5・20)

 

補足・矢高階段坂

大型店アピタからOIDE高校の上を通る坂道がある その肩口に小道があり

矢高共同調理場の南側擁壁の上を約 150m進むと突き当り右折

2段になった階段坂は矢高公園方向の道路につづく 逆側から見たところ民地のため直進は不可能

調理場を造るにつき 敷地内の小道を付け替えたものと想像したい

(2016・7・24)

 

3) 隧道あるいはトンネル

いわゆる道路トンネルは その地形上の位置により 2つに分けることができる

いずれも主要道路に存在するものだが 峠の頂上部に建設されるものと

道路の高速性を保つために丘陵部を貫くもので この場合 昨今のものは

とくに長い橋梁とセットになり また それとの位置関係で屈曲する傾向がある

いずれも建設時期により その時代の土木技術との関係で特徴がでやすい

そんな歴史・地形を思い浮かべてみるのもトンネル観賞の面白さだ

 

フルーツライン上郷トンネル

野底川の河岸段丘の上郷台地を抜けるトンネルで手前が飯田方面 奥が高森方面

開通は2001年

飯田側からは上り勾配になっていて 長さは171m 2車線づつの2本トンネル

左が飯田から 右は逆側からの下り勾配 歩行者はほとんどいないがヒンヤリとした空間

高森側からの出入り口 望遠だと下り勾配がはっきりわかる

(2016・7・12)

 

鳩打トンネル

飯田市大瀬木の沢城湖へ向かう道路から大平に抜ける林道

その峠にあるトンネルは2009年崩落し通行不能となったが1年4ヶ月後 復旧工事が完成

こちらは大瀬木側 やや下がっているようだ

工事はPCパネルを並べる工法で長さは234m 照明は一般的なナトリウム灯でなくLEDの白色照明

PC版とともに なんとなく近未来的な感じがして 外部の自然との対比が面白い 右は大平側の出口

こちらは大平側からのトンネル

(2016・7・17)

 

白砂トンネル

竜東南部農免道路を南下すると稲葉峠に向かう県道247号と交差

そのすぐ先にトンネルの入り口

ポータル部には今田人形の浮き彫り

入り口を振り返る

進行方向 右に曲がっている 幅の狭い歩道が両側に

わかりにくいが出口の寸前で今度は左に曲がり イタチが沢の橋につながる

竜江側のポータル部には南原の文永寺の仁天門のレリーフ

(2016・8・7)

 

木曾峠トンネル

大平街道 廃村の大平集落を過ぎて大平峠の頂上に土管を倒したような姿 雨のため周囲はやや煙っている

標高1358mに延長45m 2ヶ所に20cm四方の照明替わりの穴

こちらは木曽側出口 そして木曾方面

今度は木曾側から入ってみる

同じように天井には穴 そして飯田側の出口

まさに隧道と呼ぶに相応しい構造物

(2016・8・25)

三遠南信自動車道・矢筈トンネル

ジェットコースターのような喬木インターからトンネル入り口へ

三遠南信自動車道全通の暁には高速道路 照明はナトリウム灯

長さ4kmで上村出口近くでは大きく右に曲がって行く 供用開始は1994年3月

そして上村程野の出口

逆に程野側からみた入り口

(2017・6・15)

上村中郷・豆嵐トンネル

供用開始は2011年7月の新しいトンネル こちらは中郷側入り口

大きく右カーブしながら出口へ 長さは470m

逆側の程野入り口から

(2017・7・25)

県道251号上飯田線・赤石トンネル

三遠南信自動車道の喬木インターに入らず直進して通称・赤石林道へ

クネクネと高度を上げながら 約14分 標高1195mの赤石峠に到着

ほぼ直線で出口が見える 長さ937m 供用開始は昭和42年

照明もない1車線 3ヶ所にスレ違い用のスペースがある

湿った空気の中を 出口の上村(飯田市)側へ

上村側銘板は「赤石隧道」 こちら側からも喬木側出口がうっすらと見える

(2017・8・10)

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