大正昭和 飯田むかし語り

 

飯田大火と復興都市計画

昭和22年4月20日の飯田大火 左が町場の状況 右は おそらく東鼎あたりから見た 段丘上の大火災

大火の焼け跡の惨状 追手町小学校からの撮影か

「地域防災データ総覧−防災まちづくり編」 (財)消防科学防災センター平成4年刊より

2ページにわたって執筆を担当した 左ぺージが焼失部分 右ページがその復興図部分

国土地理院で保管している米軍空中写真 撮影は昭和22年9月22日であり

4010戸を焼失した4月20日の飯田大火の5ヶ月後 白っぽいところがほぼ焼失部分のようだ

 

飯田都市計画概要 昭和29年10月 発行は飯田市土木課

飯田大火から7年 復興都市計画の完了を期に発行されたもの

減歩とともに難航した墓地整理の経過を 当時の土木課長が生々しく報告

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現在の谷川公園から西方向の撮影 都市計画でテニスコートを造成 その完成写真

中央やや右寄りの土蔵が 我が家のものらしい その奥に住居部分が一部見える

土蔵はしばらく残っていたが 40年ほど前に解体 長さ 3間の小屋梁3本を業者から譲り受け

折から新築中の 上郷の和風料理店・東京庵別館に使用した

解体時に棟札も発見 それによれば昭和3年築 棟梁はわりと有名な〇〇亀次郎(苗字は失念)

(2023・5・15)

 

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毎年2月の初旬の5日間 飯田中央図書館は臨時休館となる

新刊も少なく その間の読み物として 2階郷土コーナーを物色し 前から気になっていた 「聞き書き}集を借りてみた

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聞き書き 「飯田町の暮らし 1 大正昭和期・飯田町の社会史」 飯田歴史研究所 近代史ゼミナール

2005年刊で4人のお年寄りにインタビュー

ゼミ主宰の田中雅孝研究員が高校国語の田中太七先生の令息だったとは

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聞き書き 「飯田町の暮らし 2 大正昭和期・飯田町の社会史」 2006年刊で やはり4人のお年寄りの聞き書き

提灯屋さんと曲げ物屋さんの話が とくに面白くて印象にのこった

(明治期の伝馬町)       (同 番匠町-通り町1丁目)   

聞き書き 「飯田町の暮らし 3 大正昭和期飯田町の社会史」 2007年刊で 今回は5人への聞き取り

興味をもったのは 戦後の菓子業界の様子 全国的な半生菓子の展開

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聞き書き 「飯田町の暮らし 4 大正昭和期・飯田町の社会史」 2010年刊で やはり4人のお年寄りの聞き書

飯田タクシーの創業時 銀座の呉服店の当時の繁盛ぶりなど 貴重な話

(2023・3・5)

 

{飯田町の暮らし5 大正昭和期・飯田町の社会史」 2013年刊 それだけに聞き書きの対象は7人

紙問屋の暮らしぶりほか 芸能社の子役の日常など

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「飯田町の暮らし6 昭和期 飯田・上飯田の社会史」 対象地域を上飯田まで含め4人の聞き書きで

2015年刊 上飯田の果樹農家の苦労話 と美容師としての半世紀など収録

「飯田町の暮らし7 昭和期 飯田・上飯田の社会史」 2018年刊 6人への聞き書きで今回700円の定価表示

やはり町場の子供たちの遊び 縄張り意識など面白く読んだ

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「飯田町の暮らし8 昭和期 飯田・上飯田の社会史」 最新刊は20121年刊 で7人への

聞き書きで 800円の定価表示 大火復興時の町の様子など これも貴重な証言

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「子どもたちの大正時代 田舎町の生活誌」 古島敏雄 平凡社1800円

飯田市主税町出身の東大名誉教授 (1912―1995) の飯田町回想録 1978年刊 著者69歳

さすが農業経済史が専門 微に入り細に入る 子ども時代の描写 出てくる場所は ほぼ想像可能

表紙裏の見開きは 飯田町の略図 方位は北が上ではないが 当時の意識は こんなかな

ということで そのまま掲載

(2023・4・9)

 

郷土の百年 南信州新聞社 昭和43年 500円

飯田文化財の会・編 明治百年を記念して同新聞に連載を書籍化 44名の執筆で昔話を収録

好評だったらしく 右は その続編 翌44年刊で 700円 執筆者は50名

当時 父親が同新聞社の役員で プロデューサー役を担っていたらしく 我が家の書棚にあった

昭和5年の飯田町の住宅地図 飯田信用金庫本店の壁に掲げられている

同様に方位はそのまま とした

(2023・4・25)

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飯田町は明治8年(1875年) 城下20町で発足

同22年(1889年) 上飯田村の一部を合併し 正式に飯田町となった

昭和12年(1937年) 上飯田町を合併し 飯田市政が施行された

(2023・3・26)

 

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