スヰーツタイム 丘の上 +・+・+

飯田市には和菓子店が多い といわれている 城下町時代からの茶の湯の伝統

あるいは明治以降の養蚕発展による生活の余裕などが指摘されているが

地場産業としての半生菓子の全国シェアの多さにも注目しておきたいところ

つまりは甘いものを好む ということで それに応ずる店舗も種々存在している

近頃は大型店の内外での消費に押され気味だが 街中でもがんばってほしい

 

洋菓子編 →jump 和菓子編 →jump 庶民派編 →jump 菓子パン編 →jump パフェ編 →jump

粉もの常設屋台編 →jump

 

※軽食移動販売車は別項目とします →こちら

 

大判焼き あん奈

(2023・12・5)

矢高神社の真ん前に 大判焼きの屋台店

 

飯田下伊那 半生菓子の系譜

(2023・7・18)

前に 「聞き書き―飯田町の暮らし 3」の中で 西鼎の熊谷源二さんが 飯田下伊那の半生菓子について

述懐しているのを興味深く読んだ  いつかは まとめなくては と思っていた ようやく資料も集まってきたので

ミニ ストーリーとして記録しておくことにした 

 

飯田下伊那の半生菓子

食品スーパーなどで見かける 袋入りで 中高年女性の好きな普段使いの お茶菓子

日持ちするように 生菓子の水分を30%以下に押さえ 一口サイズ(15g程度)に仕上げたもの

業界では半生菓子と呼ばれていて 現在 飯田地域・松本地域で全国の半分近いシェアだという

そのあたりが前々から不思議 と思っていたので資料をさがしてみた

 

「飯田下伊那菓子組合の歩み」 より

下は最盛期の昭和57年に刊行された業界史 右は表紙裏で大正時代の業者位置図

 

これによれば昭和54年の地場産業の出荷額のうち 約50億円で第1位となっている

飯田下伊那菓子組合の組合員は 卸・材料を含め 当時194名で そのうち半生菓子関係が60名

鼎地区では35の製菓所で 同様に半生菓子系が 21名 全体の1/3 と目立っている

 

鼎地区の半生菓子製菓所

左は鼎中平の裏通りの小原製菓 いかにも町の製菓所という雰囲気

右は鼎名古熊の久保田製菓 創業は東鼎で平成5年に現在地に移転

 

半生菓子「栗しぐれ」

昭和30年代のはじめ 「栗しぐれ」という菓子が爆発的に全国で売れたというのだ

時は まさに高度成長が始まるころ 飴などをつくっていた鼎の製菓所が こぞってつくったらしい

写真は現在も販売されている 鼎中平の小原製菓 「伊那節 栗しぐれ」

1袋(180g)に14個 当時と同じものかは不明だが 個別包装は昭和感一杯

考案したのは 現在の洋菓子店 「ポルカ」の先代・福沢房雄さんで

現在も販売されている 駒場の春木屋の「栗饅頭」を真似たものだという

 

鼎の製菓所その後

上記 熊谷さんの話によれば 一世を風靡した「栗しぐれ」だったが 機械を使っての大量生産から

しだいに飽きられ 競争も激しくなって 返品も増えたあげく 立ちいかなくなった業者が増えたようだ

結局は新規の商品の開発力の差で どんどんと淘汰されていったという

 

写真は鼎下茶屋の飯田商工会議所鼎支部 この道路を挟んでのところにも製菓所があったはず

いつの間にか 住宅が2軒建っていた

 

なお種菓子いわゆる最中(もなか)も半生菓子に含まれる 鼎には2つの種菓子屋がある

左は鼎中平の たねふく 右は鼎下山の佐藤種菓子店

上の半生菓子屋とともに 4軒の製菓所が 現在の飯田下伊那半生菓子組合に加わっている

 

飯田下伊那 半生菓子業界の現在地

(2023・9・19)

豊丘村の天恵製菓 広角レンズに収まりきれない 広大な工場ほか

従業員数200名 先ごろ創業100周年記念事業を行った 海外展開をも視野にいれているようだ

高森町の工業団地に構える 津具屋製菓 ここはむしろ観光地などへの出店に力点

天竜川右岸・座光寺の工業団地内の お菓子のシアワセドー

リニア喬木高架橋で移転を余儀なくされた 伊藤製菓と種菓子のふくやまは

伊久間地区の代替地に新築移転 手前が伊藤製菓 奥が ふくやま

 

飯田下伊那半生菓子組合の製餡所

半生菓子製菓所に納入する 餡の製造所 最盛期には10数か所あったという製餡所も現在残るは3軒

ただ この狭い地域に3軒もの製餡所が営業しているだけでも貴重だが

昭和46年施行の水質汚濁防止法で 排水浄化装置の設置がネックになったのか

松川に面した 地籍は箕瀬3丁目の中村屋製餡 堤防道路の脇に大きな排水浄化施設

東鼎 永代橋の南詰の田中製餡 排水は松川ではなく逆側の用悪水路のようだ

右は東中央通りの小西製餡 排水路は確認できないが もしかしたら道路側溝が用悪水路かも

 

製菓材料卸・移出商社

上のような半生菓子の全国展開には下記の2社の果たした役割は大きい

いずれも現在 松尾の卸団地に本社を構えている

(株)外松 もともと下の戸田屋から出た経緯をもっている

営業部門として高森町の工業団地の飯田営業所・高森営業所

ただ昨年には 本家筋の戸田屋の子会社となった 先行きやや心配な状況

上の外松から1軒おいたところに本社を構える戸田屋

本社の対面には3階建ての工場が稼働 

戸田屋は親戚筋の高森町吉田の造り酒屋・旧宮島酒店を農産物加工所とした

間口10間の堂々たる本棟古民家で 双松庵唯七というネットショップを開設し

干し柿を使った高級半生菓子の分野に進出している

*

製菓工場が独自の販売網をつくりあげつつある現在 この2社の役割も変わらざるをえないが

今まで見てきたような歴史的背景のなかで 南信州の文化として より発展することを期待したい

 

**

大判焼 もっちまる お豆や まきの

(2023・4・10)

伝馬町1丁目の豆専門店が 大判焼きを始めた テレビでも紹介 狭い店内のため 外で待つ客も

聞いてみたら パンの□屋(しかくや)と兄弟 これから軽バンで あんこの配達とか

店頭と 入ってすぐ左の豆コーナー いかにも豆屋の雰囲気

左手の大判焼きは 8種類  この季節一番人気はさくら た しかにもっちもっちの食感 右手はラスク販売

菓子店舗が つぎつぎと閉店する中で あらたに人気店の誕生は喜ばしい 

 

フルーツサンドウィッチ ヒルズカフェ

(2021・11・23)

本町再開発ビルの1階 名前はもとのままだが フルーツカフェがOPEN

銀座を越えて追手町1丁目の青果卸しの伊福屋が始めたという イートインもある

新型コロナで飲食店の仕入れが減って こちらに注力 ミックスフルーツとサラダスパゲッティ

 

和菓子いとうや季の庭

(2016・4・14)

老舗和菓子店「いとうや」が ガーデンパーキングをオープンさせた

街中に緑を という みすず設計さんの自論からのデザイン これは町内お披露目の日

3月末のお練りまつりでは お休み処として好評

4月にはいっての桜の季節にはソメイヨシノが開花

この東南の隅は朝日も当たらず意外に目立たない位置 西南のコーナーの方がよかったのでは

*

りんご並木店舗その後

(2014・3・29)

飯田菓子土産店 「南味紀」と称していたが「みつばつつじ」に改称

中身はあまり変わっていないようだ

同じビルの北側に豆菓子店「豆吉」が移転

その移転した以前の土蔵は現在ギャラリーとして使っている が入りにくいのだ

土蔵の閉鎖性が影響しているように思える

*

追手町1丁目 「マロン」 閉店しました

苺のシーョトケーキは360円

*

一筋南側の主税町 「オキナヤ」 閉店しました

家族3人での製造販売 ショートケーキ250円 全般的にリーズナブルなお値段

*

知久町1丁目 「一不二」

昔からシュークリームが有名だが 赤飯万十もあつかうと幅広い

長方形のショートケーキは300円

*

東新町 「トップ」

店舗のスケールはもっとも大きい ショトケーキも大きいが値段も420円

*

本町4丁目 駅前横通りの 「紅谷」

こじんまりとした町のケーキ屋さんという感じ ショートケーキは315円

*

桜町1丁目 「ハイネ」

ここも和菓子や おやき までと幅広い

小振りなショートケーキは210円

*

本町1丁目 「お菓子の部屋」 その後 店舗は閉鎖しました

(2012・1・18)

もともと東中央通りでひっそりと営業 知る人ぞ知る という店だったが

20数年の時を経て 丘の上に帰ってきた 再開発ビルの1階 カウンター席と本町通りに面して応接セット

「苺のほほえみ」と題された小ぶりなケーキは290円

*

本町1丁目 「HOTA PASTRY」北方に新築移転

(2013・9・18) 

「お菓子の部屋」が撤退して しばらく空家になっていた場所に 同じく洋菓子店が開店した

カウンターの中では2人のパティシエ

カップケーキは 294円 甘いものは苦手な kid’sさんにはプリンを

**

和菓子編

本町2丁目 「いとうや」

名物は 「大名きんつば」 150円

店舗は古いビルを改装したもの 規模は飯田で最も大きい

*

銀座通り2丁目 「和泉庄」

ここも名物は 「大きんつば」 150円

*

通り町3丁目の 「いと忠」 上郷国道沿いに移転

ここは 「巣ごもり」 が有名 白あんを白チョコでくるんだもの 105円

あんのバリエーションが多くて 左はマンゴー味 126円

*

本町4丁目の 「長寿堂」

ちょっと勢いが感じられない

*

主税町の 「千翁堂」

ここは 「ははきぎ」 が有名 バラ売りなしで写真もなし

ショーケースを見ると干菓子に特長がありそう

*

飯田駅前旧ユニー通り 「船橋屋」 撤退しました

もともとは飯田市西部の山本地区の和菓子店 ほかにここを含め3店舗

栗をまるごとわらび餅でくるんだ 「栗里亭」が一押しだそうだ

*

伝馬町1丁目 「田月」

ここの 「きんつば」 は小さめで130円

*

馬場町の 「山栄堂」 (廃業)

電話番号が似ていて ときどき間違い電話がかかってくる

*

桜町踏切下 「つ久し」

こじんまりとした店内

*

りんご並木西側 「南味紀」

最近開店した菓子処 上記銘店など26店の洋菓子・和菓子をあつかう 観光土産店

*

銀座3丁目「亀まん」 閉店しました

(2013・3・7)

再開発 ビル・ヴィスタパレス銀座の1階 定番は こし餡たっぷりの亀まん頭

本店は伊那市高遠 まんじゅうと最中の和菓子店

 

**

庶民派編

オハギやダンゴなどの餅菓子を中心に

五平餅や稲荷スシ おにぎりなども製造販売

 

中央通り1丁目 「一二三屋」

商品は 黒砂糖の香りたっぷりの一二三屋まん十のみ

いつも店の前にはクルマが数台 午後には売り切れて 完売御礼の店じまい

*

知久町3丁目の 「うれ志野」 閉店しました

ご主人も高齢だが がんばってほしい

*

知久町4丁目 「風月堂」

おはぎ いなり だんご など

*

常盤町高速バスセンター前の 「三吉野」

主人は高校の同級生で実家が製餡店

当時だれもミツルとは呼ばず 満(マン)ちゃん と呼んでいた

そのアンコ屋の満ちゃんが饅頭屋に婿入したという出来すぎた話

しっかりした後継者ができて安心

*

桜町の駅近く 「吉丸屋」

ここは みたらし団子が人気

*

飯田文化会館下 「梅園」 閉店

風越高校にも近く 千成焼きは昔から

*

たいやき移動車

常設のたいやき店は駅前の大型店 「ピアゴ」の中にあるのみ

その近くで見かけた移動車

*

りんご並木三連蔵の一角 「豆吉本舗」

有名観光地に全国展開しているが 本社は隣りの喬木村のようだ

**

菓子パン編

ベーカリーとはいわず あえてパン屋と呼びたい

 

松尾町1丁目 「タイホーパン」

近所に建設会社2社 客も多そうだ

*

江戸町の 「パンドール」 閉店しました

昔は丸山パンで親しまれていた 今は石窯の本格的ピザ店を併設

品揃えは充実 とくにミニロール系は種類豊富 黒いのは竹炭ロール

*

箕瀬2丁目 「エンゼルパン」

ここも昔は 「福助パン」 といっていた 店舗での販売より外商に重点のようだ

*

箕瀬 3丁目「エンゼル」

(2013・4・1)

箕瀬1丁目の住宅が市役所改築工事にひっかかり 2丁目の工場共に3丁目に新築移転

周辺のお年寄りには便利な存在

 

*

羽場の 「もりおかパン」

きれいな店内だが 商品は多くはない(閉店)

 

知久町4丁目 「ボンジュール」

ここも市役所などへの外商に力点

 

城東 柳通り 「食パン □屋 (shikakuya)」

(2020・2・20)

いつ通りかかっても 「完売です」か「定休日」の看板 こりゃ営業していないんだな と思っていた

11時に開店して30分ほどで売り切れになる という情報に 酒屋に行ったついでに寄ってみた

狭い店内のため入場制限つき あん食パンやラスクもある ミニクロワッサンと食パンを購入

クロワッサンは ほどよい甘さで手土産によさそう 食パンは値段もいいが その分 肌理が細かくズシンと重量感

 

*

パフェ・甘味編

銀座 5丁目「黒金屋」

(2013・3・19)

銀座通りの東側 メニューも豊富で常連客も多いようだ

昭和末期の喫茶店という感じで 今回 チョコレートパフェを注文 おしるこもあり

 

*

パフェ・甘味編 扇町「道草」 閉店

(2013・8・21)

市役所近くの喫茶店 定食や甘味にも対応

高速バスの時間待ち 手前左 小倉モカパフェ 右 モカパフェ その奥がコヒーゼリー

さらに左奥に コーヒーフロート と4人4様 マスターの大橋さんの手を煩わしてしまった

*

本格的な和風甘味処がないのは少々残念

2009・8・27

 

粉モノ常設屋台編

(2020・6・14)

カインズホーム飯田店 メインエントランスの右側に固定屋台式の店舗

県内チェーン店の焼きたて屋 たい焼・たこ焼・お好み焼

同じくDIYのケーヨーホームセンターにも同店 華々しくTVコマーシャルも打って県内展開

カインズホーム高森店にも出店 全国展開をうかがっている

 

麻績の里 たいやき美角屋

(2021・11・11)

産直施設・麻績の里の北側の一角に店舗

back