鼎中段・矢高中央公園

 

※矢高神社秋季祭典宵祭り →jump

 

鼎下山の矢高公園はときどき自転車やら徒歩やらで通りかかる場所である そのたびにその利用度の高さを目にしている

飯田市のほかの公園 羽場公園や風越公園(四季の広場)とともに 市民の憩いの場所として 認知されているようだ 

そこで道路状況や周辺の施設など都市構造から その存在を考えてみたい

 正式には矢高中央公園として 都市計画上は近隣公園となっている

面積も 2.5ha とそれほど大きくはないが イメージ的には隣接する

矢高諏訪神社の社叢も一体化して公園と意識されているようだ

さらには夜間照明付のテニスコートや多目的グランドが併設され

さまざまな世代での利用が多く人気の公園であり独立項目とした

飯田城址の突端から見た矢高中央公園 右の社叢が矢高神社 左の赤い屋根が飯田OIDE高体育館

もともとは鼎町当時 神社近くのテニスコートが始まりのようで

その後 周囲の桑園・果樹園などを用地として加えていった模様だ

また周辺は市立病院・大型店・高校などが上段の国道近くにも

集中して まさに飯田市の郊外化の中心となっている場所でもある

 

晩秋全体像

冷え込んだ朝 電動自転車で周辺を再確認

中央の道路は ほぼ直線で常盤台方面に向かっている

そこにいたるまでは 鼎文化センターから南に坂を上り 鼎支所交差点を通過

坂道はさらに左カーブして 平にでる 右に上る坂道は下農高と大型店アピタ方向

左に矢高諏訪神社境内 この神社は珍しくも北西が正面

参道も北からアプローチが正式 右には行き止まりの道があり 利用度の低い鼎弓道場とアーチェリー場がある

矢高神社を過ぎると左手奥にテニスコート その手前には駐車場 つねに何台かのクルマが停まっていて

サボリの営業車のような気がする とくに夏場は社叢の日陰側は満車状態

その先には公衆トイレと高いところに東屋

長姫高校入り口の角に児童遊園 遊具も新しく整備され利用度も高い つねに人の眼のある場所で安心感はある

さらに右に高校グランドを見ながら真っ直ぐ行くと下山通りの常盤台交差点にいたる

今度は交差点側から公園に戻ると 少し左に曲がりつつ神社社叢を遠望する

右手にはコンビニがあったのだが撤退し現在洋菓子店 左に高校正門で角が児童遊園

一方 高校裏側を通って 共同調理場の坂を下ると正面が公園

児童遊園の中心には コンクリート製の多目的スベリ台があり そこから東屋と社叢方向

逆側にはカラフルな遊具 全体に砂地になっている

北側にはグランドを通して飯田市街地丘の上を遠望

児童遊園の角から右にイタメシ屋 左にグランド入り口を進んで坂道方向

左に90度近く曲がりながら グランドに沿って下っていく

なかなか見事な丘の上風景 下の鼎住宅地から 奥の風越山まで

坂を下りきると小さな児童遊園があり さらに進むと神社入り口の石段

2017・12・5

矢高諏訪神社

4月の第2週の日曜は春祭り ちょうど石段脇の桜が満開

石段上から桜を透かして鼎上山の町並

屋台獅子も出て 境内は華やいだ雰囲気

屋台獅子は おかめが大勢出現する中平地区の演舞 午後3時頃の情景 春祭りには6つの獅子が出現する 

ひとつの神社に これだけの獅子があること自体 珍しい 村域の広さから 自然発生的に集落単位がまとまったのか

飯田市街の秋の風物詩 獅子舞フェスティバルも もとはといえば矢高神社氏子が仕掛けたもの

その熱心さの源は ここらにありそうだ

これは1月中旬の午前11時頃の石段 普段はまったくの逆光で寒々しい風景だ

神社の本殿は東か南をむいているのが常識 ところがここは本殿が北西を向いているのだ

また神社は一般的に高いところに造られるが(下り宮という例はある)

山村(やまむら)側からみて この位置が求められたのは理解できないことはない

ただある時期に敷地は拡張されているようで さらに本殿改築に際し

火災が発生したりして 位置自体も移動しているという

住宅地図によれば上山にくいこんだ形で下山の神社が存在している

いやむしろ大きくみると上山自体が東にここだけ張り出しているようにもみえる

周知のように明治8年の鼎村の成立は一色村・名古熊村・山村の3村が合わさってできたもの

当時の山村は東鼎から切石まで松川沿いの下段の長い村だったようだ

ただ飯田藩主・堀氏入封の折から 庄屋が2軒おかれ 実質的に 上山・下山が誕生したという

しかしながら用水・水害などの関係で上と下とは必ずしも良好な関係とはいかなかったようだ

そんな村の歴史上 この神社がその中心になっているような気配濃厚 郷土史からは興味のあるところ

(2017・12・17)

 

矢高神社秋季祭典宵祭り

秋季祭礼は旧市内神社の祭りの始まる1週間前の8月第3週

たまたまこの日は高森町市田の灯籠流しとカブッてしまった

境内には控場所としての7地区の紅白幕のテントが散在

夜になって石段の上の7つのご神燈に灯がともり 境内には夜店も出現 ただし3店と少し寂しい

アピタの駐車場にクルマを置いて見物に来る人も多く

午後7時より宵祭りの奉納煙火がはじまる

打ち上げ場所はグランドの南西部分 旧市内とくらべ安全距離がとれるので

5号(5寸)玉が打ち上げ可能 やはり大きいほど真円に近く 見ごたえがある

(2018・8・26)

 

テニスコート&グランド

6月初め 午後3時半ころ 広い駐車場にはサボリクルマが一杯 正面奥が飯田OIDE長姫高校

矢高神社の社叢の影が ちょうど良い日陰となっている 逆に冬の日には陽だまりの空間

その奥にあるテニスコート これは西側から南アルプス方向

別の日のテニスコート利用 近くの飯田OIDE長姫高校の生徒のようだ

その東側には多目的グランド 照明完備で夜間ソフトなどにも使われている

またある時はゲートボール大会が開かれているのを見かけた

北側にパンしていくと 丘の上の飯田市街と風越山が遠望できる

さらに北側のフェンスの金網越しに 鼎下山と段丘風景

これは6月初旬のペタンク大会

このフランス生まれの競技が なぜか鼎地区では盛んで

10地区が それぞれテントを設営しての対抗戦

11月下旬 グランド西側の小公園との境界に植えられたイチョウ

観客席の向こうでは ソフトボール練習のオジさんたちがグランド整備を始めた

(2017・12・26)

児童遊園&小公園

鼎名古熊の高台から見た児童遊園

カラフルな遊戯はまだ新しい 右奥に木造WC

ブランコに乗っているのは OIDEの高校生のようだ

円形山形スベリ台から遊具方向

WCは古くからのものが もう1ヶ所あり

その脇には江戸彼岸の若木が濃い色の花を咲かせている

ツツジの季節 WCと小道を挟んで8角形の木造東屋

これは東屋の北側から駐車場方向

東屋からWC方向

ここも東屋の北側道路 左がテニスコート ここを左折し北に向かうと小さな公園がある

春は桜 秋はイチョウの紅葉と なかなかの風情はあるのだが 如何せん北斜面

人の眼も届かないところでもあり 利用度は低い 左がテニスコート

今度は逆側 西から東方向 したがってテニスコートは右側 奥がグランドの位置関係

木々の間をとおして 下にも児童遊園があるが まったく利用者はいない

紅葉の季節に 東屋から小公園への小道 左が小公園 右にグランド 奥の段丘上に飯田市街

逆側 北から南方向 右に小公園 左にグランド

その坂道をグランドの端から

さらに坂道は西に向かって降りる階段となり 市道に出ることになる

(2018・1・14)

周辺店舗状況

最後に周辺の商業施設との関連をみてみたい

なお建築基準法による用途指定は中央通り北側が1種低層住居専用地域となっているが ほかは無指定

矢高中央通りを西から向かうと 右手に和食の「やまもと」

和食処にしては渋い外観だが法事などにも使い勝手はいい その20mほど先の左手に和菓子「赤門や」

住宅の改装だから 目立つためには派手な店舗廻り

その隣に旗竿敷地で喫茶店「木々」 住宅雑誌から抜け出たような OMソーラーの載った店舗兼住宅

さらに児童遊園の前にイタリア食材の「CICCI」 斜め前に

その本家のイタメシ屋「BELLA SONIA」 もともとオリーブという喫茶店だった

そして洋菓子「マサ・オオシマ」 これはもとコンビニのヤマザキ・デイリーストア

高校の真ん前でもあり十分やっていけると思ったが

坂下のセブンにくわえ 高校裏の坂上にファミマが開店して完全閉店

*

以上なかなかユニークな店舗が存在するが いずれも公園との関連は希薄だ

それらの集積は真っ直ぐに続く 中央通りのわかりやすさに起因しているようにみえる

公園との関係でいえば むしろ大型店アピタとの繋がりの方が強そうだ

(2018・2・4)

 

 

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