山海社寺景勝図絵
最近飯田市立図書館の蔵書に 日本の景観論の魁として有名な 志賀重昂著「日本風景論」を見つけました
下記の名勝論とも関係しているので興味のある方は参考にしてください こちら
吉田初三郎の世界
飯田中央図書館の新刊コーナーで目にして早速借りてきた
大正・昭和初期 一世を風靡した 観光案内のための鳥観図の第一人者
大正の広重とも呼ばれ 当時摂政だった後の昭和天皇から 綺麗でわかりやすい と大絶賛
全国的なブームを巻き起こしたようだ 作成した鳥観図は 1600点に及ぶという
前々から注目はされていたが ここへきて 再評価が著しい
著者は八戸クリニック街かどニュージアムの館長 一時岐阜から八戸に工房を移した関係で
父親の代からのコレクションを公開しているという 上図は北海道の鳥観図 遠くはカムチャッカまで記入
こちらは四国八十八か所霊場案内図 高知側から奥が瀬戸内海と本州
いずれも折図としてたたみ 携帯に便利な体裁をとっている
ついで京都名所大鳥観図 右上に琵琶湖 さらには日本海と右手奥には富士山と自由奔放
デフォルメは留まるところを知らず 一枚に収める技術は まさに職人芸
高野山や比叡山など神社仏閣からの依頼で 案内図を描いている
さらには鉄道路線図や船の航路図なども多数ある
ここからは日本新八景(後述) 左上 華厳の滝 左下 上高地 右上 木曽川 右下 室戸岬
さらに上は 雲仙岳 下 別府温泉
つづいて上 狩勝峠(北海道・石狩十勝) 下 十和田湖
そして観光信州と題した長野県の観光案内図 ただし北信が中心で 左の諏訪湖や
南信州はは付け足しという感じ ただし伊那電気鉄道の株式募集での絵図が別に詳しく描いている
(2025・11・20)
1) 名所図会の誕生
意外にも 天の橋立・松島・宮島のいわゆる日本三景は17世紀末には
成立していたようだが それらは文人墨客の山水画としての教養の範疇で
いわゆる風景画の誕生はそれから百年の月日を必要としたようだ
江戸時代後期18世紀末に発行された「都名所図会」以降
経済に余裕のできた文化文政期 江戸をはじめ各地の名所図会が刊行された
伊勢参拝をはじめとする物見遊山が流行した時期である
さらにこの時代 東海道や中仙道などのいわゆる街道浮世絵も人気を博した
十辺舎一九の東海道中膝栗毛もほぼ同じころである
それには日本全国の寺子屋の急増も影響をあたえたのかも知れない
そこで描かれているのは 実際に目にすることが可能な名所としての姿であり
いわゆる名勝と呼ばれる場所である
なおいわゆる「名所観」という概念は 応仁の乱により公家・連歌師の地方往還が増え
実際に名所を見る機会が増したことにより生じたようだが
大衆の間に一般化したのは 上記によると考えていいのではないか
2) 景勝図絵
一般的にとりあげられているのは社寺盛り場などの風景と自然的な景勝地で
ある視点(中国でいう景点) つまり景勝ポイントからの風景である
安定的な風景・均整の取れた風景・調和した風景などで
それらがいわゆる「美しい景観」というものであろう
さらにそれらはパターン化され ひとつの記号として認識されるようになった
とくに景観的な記号としてあげられるのが 銭湯の背景画であろう
関東の銭湯に見られる 風呂絵とも銭湯ペンキ絵ともいわれるものだ
ただその歴史は案外浅く 大正元年(1912年)の神田キカイ湯から始まったといわれている
有名なものは三保の松原から望む富士山風景で
飯田の銭湯でも幼い日 眼にした記憶がある
当初の日本三景には入っていなかったが 大正4年(1915年)実業の日本社による
新日本三景の選定という企画では 耶馬溪、北海道の大沼とともに
晴れて認められたようだ
3) いわゆる名勝
参考までに文化財保護法では、いわゆる名勝は以下の11に分類されている
1 公園・庭園 2 橋梁・築堤 3 花樹・花草・紅葉・緑樹などの叢生する場所
4 鳥獣・魚虫などの棲息する場所 5 岩石・洞穴 6 峡谷・瀑布・渓流・深淵
7 湖沼・湿原・浮島・湧泉 8 砂丘・砂嘴・海浜・島嶼 9 火山・温泉
10 山岳・丘陵・高原・平原・河川 11 展望地点
なお上記のものは人間の手が入った人文的名勝と自然的名勝とに
大きく分けられていて 特別名勝といわれるものには各地の庭園が多い
4) 名勝選定物語
昭和2年(1927年)東京日日新聞社は日本新八景として全国から名勝を募集し
それを各界文化人が以下の8の分野での名勝を選定した
1 山岳 2 渓谷 3 瀑布 4 温泉 5 湖沼 6 河川 7 海浜 8 平原
我らが天竜峡は渓谷部門でもっとも票を集めたにもかかわらず 選定からもれ
上高地が選ばれたらしく 地元では同新聞不買運動が起こったようだ
その影響からか さらには日本二十五景も発表され そこには選定された模様
同時に日本百景も発表されている
同様な企画は昭和25年(1950年)に毎日新聞が新日本観光地百選
同33年(1958年)には週刊読売が新日本百景
同41(1966年)年に月刊誌「旅」が新日本旅行地100選
さらに同63年(1988年)週刊読売が新日本観光地100選として発表しているが
以降はそのような企画はないようだ
4) フォトジェニック風景
ここでも写真について述べないわけにはいかない
カメラの発達にともなって景勝図絵も写真化されてきた
定評ある景勝ポイントからの いわゆる絵葉書写真である
しかし心象風景を反映する芸術写真・写真アートが一般化したなかで
風景写真も単なる景勝写真にとどまらず 芭蕉の俳句のように
心象をより表現するものが評価されるようになった
さらにはアマチュア出身の風景写真家が生まれ だれにでも手の届くような
写真表現が専門投稿雑誌を賑わしている
前田真三による美瑛風景や 尾瀬の1本の白樺の風景など
それまでの景勝写真と異なる撮影対象が選ばれているのだが
ただ撮影ポイントは選びぬかれたものだけに 同じ場所にアマチュアカメラマンが
集中することになった
4) パノラマ風景と景勝ポイント
上にも述べたように いわゆる名勝と呼ばれるものが美しい景観だ というのは
否定できないが その構成要素を分析するのは難しい
要素を整えることによって美しい景観ができるの ということではなさそうだ
ただ聖地・ノスタルジア・マニアック・名勝といろいろな景観特性の検討からは
何においてもパノラマ景観が 共通する必須の条件のような気がする
そのブロードビスタとロングビスタの確保できるところが景勝ポイントで
そしてその景勝ポイントをいかにして充実させていくかが景観形成の方法となりそうだ
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2009・12・26