竜西断層渓谷小景
臼井川秘境探訪 →jump 毛賀沢川・不動ヶ橋上下 →jump 新川中流域 →jump
上川路・茂都計川 →jump 滝伝説・茂都計川 →jump 旧久米川発電所奥 →jump
大井川・井水分岐 →jump おまけ 古道(?)駒沢川 →jump
※断層渓谷まとめ →jump
ずっと実現できなかった 臼井川秘境を歩く機会をえた ただ眼にしたものは やや荒れはてた暗い小渓谷
これじゃとても1項目まとめるのは無理だな としばらく放っておいたのだが 何かの本で 天竜川の西側は
断層による段丘であることを知り 別の河川とあわせて その共通項を探ってみることにし 現地に赴いた
臼井川秘境探訪
国道151号の傍らに臼井川秘境の案内があり いつも気にしていたが意を決して訪ねてみた
国道の西側の低い道路には 立派な石造の碑がある ここから右手の道路を里山に向かって進み
林間部に入ると すぐ黄金ヶ滝の案内版 ちょうど滝を見下ろす位置になる 滝は落差8mほど
雑木林のあいだを進み 看板は馬桶石駒の蹄跡 ここからは水面まで下る必要があり 岩は未確認
さらに左岸を上ると竜西一貫水路が横切っている
河原脇の山道の向こうには護岸が現れた
ちょっとした堰堤があり池となっていて 井水を取水している様子
ここを過ぎると やや明るい林間で 渓谷の出口に来たようだ
これじゃ奇岩を見なくて終わるのか と戻って小道を登ると「座頭の手」と呼ばれる大岩
ほかにもキノコの形の高砂岩や愛染神社の祠があるらしいが 今回は見送った
林間の小道は昔は整備されていたようだが 今や訪れる人もあまりなさそうな寂しい風景
毛賀沢川・不動ヶ橋
旧松尾城と旧鈴岡城をへだてる毛賀沢川の中流域
松尾城址の本丸手前から舗装路を下っていくと 小さな公園らしきものがある
そこから川を渡る歩行者専用の橋 竜西一貫水路を通す橋で その上部が歩けるようになっている
川面はかなり下になり 鈴岡側から急斜面を降りてみた
滑りやすい靴なので恐る恐るアーチ下から橋を見上げてみると
毛賀沢川はその少し上流で屈曲していて 池状になっているので ここでも井水を取水しているかもしれない
毛賀沢川・不動ヶ橋
日を改めて今度は橋の下流域を歩いてみた
立派な擬木の手すりの園路をジグザグに下っていく
荒れた園路は人の通った形跡もない
崩落危険・立入禁止の表示があったが くぐりぬけると
ここから滝を見るための鉄骨の展望台 滝の音はかなり聞こえたが
樹木が繁茂して水面すら見ることはできなかった
2017・10・3
後日 下流からもアプローチしてみたが 畑作業のお父さんは 滝の探索に登るマニアが
畑に入って荒らして困るので 完全に道を封鎖した といっていた
新川中流域
つづいては伊賀良大瀬木から駄科方面に流れる新川
新川3號橋から右岸の小道を歩く なおここに大井川からの小さい流れが合流している
井水管理小道をフェンスに沿って歩いていくが この先で川とは高低差が出るため もう一度 小道を川面に下りていく
小さな橋があり左はその下流方面 右は上流方向
その昔 ここにも小さな発電所があったというから この先の堰堤附近かもしれない
その左岸には少し幅の広い道があり 民家の脇をぬけて さきほどの3號橋まで戻ることができる
駄科に抜ける整備された市道は 川とはかなり高い位置を通っており 駄科の念通寺の下にでる
ここには竜西一貫水路が口をあけている 新川はこのあと深い谷をつくり時又で天竜川と合流
念通寺の裏から北側に抜ける旧道があって そこから駄科の平を見たところ
右の社叢が諏訪神社 左の道路が県道・駄科大瀬木線
(2017・10・11)
上川路・茂都計川(もっけがわ)
上川路から県道・時又中村線を上ると 途中に左に入る小道
農耕車なら途中までは行けるが この先で折り返し下っていく
無名の小橋があり 茂都計川に出る
橋から上流方面 道はなく探索不能
(2017・10・24)
滝伝説・茂都計川
茂都計川の渓谷は下流からは近づけず 久米川の井水取水口を確認したあと
県道に沿って上から眺めることにした 道路は北側の断崖の下を通っている
途中何やら構造物がありそうな場所 鎖をくぐって階段を降りていくと 案の定 井水の取水口
さらに下流側も大きな段差があり 伝説の滝があったという案内板
道路を中村方面に進むと 片側は自然岩だが 道路側は拡幅工事が行なわれたのか 擁壁構造
さらに中村方面に進むと道路との段差も少なく 渓谷を抜ける気配
(2017・11・7)
旧久米川発電所奥
上記の茂都計川は小橋の下流で久米川に合流している
小橋から中村へ向かう市道へ上り 横断して同じような農道を左に入っていく
左に旧発電所の案内看板 石垣下にその遺構があるようだ
農道を北に進む 道の右側には同様の石垣が整備され 水路が埋設されている
さらに進み いよいよ林の中に入っていく しばらく進むと堰堤があるが 水路はまだ続いている
やや大きな堰堤があり その奥から取水しているようだ
(2017・10・31)
松川妙琴原下で取水された大井川は 江戸期240年前 明和6年に竣工の伊賀良井とよばれる農業用水路である
いくつにも分岐して北方の台地や鼎の田畑を潤し 殿岡を下り本来の自然河川につながっている
一部はかなり深い谷をつくっていて
再びここで取水され 駄科から長野原方面に水路はつづく 川自体はここから南に方向を変えているようだ
井水は県道駄科大瀬木線に沿って 鈴岡公園の脇を通過
駄科の平にでて 竜西一貫水路と合流 その先 長野原の田圃を潤す
もともとの大井川はゴルフ打ち放し練習場と電子工場のあいだを かなり深い谷でぬけ新川に合流している
なお大井川(伊賀良井)の上流については こちら
(2017・11・14)
おまけ 古道(?)駒沢川
殿岡から新川を横切り 明星学園脇から前林三角点を横目に上り 通称・臼井原に出る
桐林の霊園方向の下り坂 すぐ左手に小道がある
国土地理院の地形図では桐林方面に抜けられそうなので 山道を下ってみた
地形図によれば駒沢川の上流にでるはずだが 人の通った形跡は全くない
そして川まですぐそこというところで進めなくなってしまった 来た道を引き返して上り
市道を霊園方向に下った 途中から川の方向に向かうと大きな養豚場がある
石垣下が駒沢川の川筋で ここを上流に少したどってみた
やはりここで進行不能 ただ何となくこの道は臼井原に上る昔からの沢道だと思った
正面が二等三角点・前林のある高台のようだ
(2017・11・21)
※社会科学習「断層渓谷まとめ」 飯田市立追手町小学校六年仁組 仙成智留彦
松尾から駄科と桐林それに上川路の6つの川を探検しました。
殿岡や伊賀良や中村など上の段との境には段差があって、
なかには滝のあるところも、いくつかありました。大体が自然な石でできた
谷間で暗くて、上や下の人の作った護岸とは違った景色となっていました。
その段差のところの堰堤には、ほとんど取水口がありました。
そこからはずっと小さな用水路が引かれて、田んぼにまで行っていました。
いつ作ったのかは、わかりませんが、その苦労を考えると、
お米を作るという農業がいかに大切か、わかったような気がしました。
新川や久米川では大正時代の初めに小さな発電所もあった、ということです。
理科の地質にも関係しているようだし、村人たちの生活などを想像して
そんな歴史にふれることもできました。面白かったです。
(2017・11・21)