三州街道中馬道
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野底川渡渉 (2024・8・25)
飯田城下から大門を抜けて 野底川を渡り 上郷別府にいたる
14年前は よくわからなかったが 今回歩いてみて ほぼこれだな と確信した
どうも難しく考えていたようだ
いわゆる上街道の大門町から左手に入る小道 道際左に巨大な名号石が見える
小さな用水に沿って北に進み 右に墓地を見て下る
さらに右折して下ると野底川に出る
旧道は野底川から真っすぐ上っていく
その位置関係を野底橋から見る
さらに対岸から大門町側を見る これなら川面に下りて渡渉可能と思われる
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塩尻から善知鳥(うとう)峠を越え小野宿から辰野・伊那・駒ヶ根を経由して飯田に至り
駒場から平谷・売木を経て三河豊橋に至る街道が三州街道である
三河方面から見れば伊那街道とも呼ばれていたようだ
南信州の山岳地帯から段丘上を北上するのだが
いわゆる田切地形と呼ばれる河川を頻繁に越えざるをえなかった
大きな橋を造ることのできない時代で 段丘から川面まで降りる坂道が連続する
したがって交通手段は人の背や馬の背 とくに馬4頭を連ねる中馬といわれる
運搬手段が重用され それ故「中馬街道」とも呼ばれたようである
時代は移り 大きな橋がかけられ道もできるだけ勾配の緩やかなものに整備され
飯田以西は国道153号として 飯田以北は県道として上街道(うわかいどう)と呼ばれた
現在は下段の国道との間にもう1本の農免道路が開通し 交通量は激減したが
ここではその旧道をできるだけ辿ってみて 往時の姿を想像してみるものである
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なお「街道」と「みち」も使い分けについてはこちら
阿智村駒場宿 旧道は国道からは1本南 左は元の阿智郵便局
国道を横切って 並行する旧道を抜け また国道を横切る
東に向かって進み 交差点を左に行くと街並み
そこを抜けると田舎道の風情 七久里の集落から国道へ このあたりが飯田市と阿智村の境界
周辺は三遠南信道山本ICの工事で旧道は細切れ
国道から左に入ると ようやく旧道に
わかりやすい道を直進 三遠南信道の下をくぐる
山本郵便局の脇をくだって いかにも雰囲気のある田舎道
農協にぶつかる ここを右折 火の見の前を今度は左折
なぜここがクランク状なのかは不明 さらに三遠南信道のためのバイパスを横切り
二つ山を目指して歩き続ける
丘の右手を進むと二つ山の裾
中央道の上を越えて 並行する国道に出る 二つ山バス停附近
国道から左に入ると モーテル街
モーテル街を抜けても道幅は広い 国道の上り坂ができる前はよく使われていたようだ
その国道の上り坂に入る部分から旧道を上ると中村
2010・9・23
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Aこまんばみち後編
坂を上ると中村地区に入っていく 幅1間半ほどの わかりやすい道が続く
枝垂れ桜で有名な増泉寺の脇を通って 桜満開風景はこちら
大瀬木の高台に出ていく
飯田市街地を遠望しながら ここから国道方面に下り
飯田インター西交差点の5差路の西側を通り抜け
北方バス停の裏で国道に合流
旧三州街道残欠・伊賀良北方編
以前から気になっていた旧三州街道の北方部分 中村のプールの行き帰りにそれらしいルートをみつけ
航空写真上に落とし込んでみた 意外にもすっきりとした線形を描いているので 報告し批判を仰ぎたい
上の国道との合流部分は そのままとして 問題は どこから国道と離れていくか であった
中央道の北側の側道から墓地の前を通る小道があやしい これを西に向かって出口を探ってみた
実際は民家の庭先に消えている 今度は逆向きに辿ることにした
国道は中央道の下をくぐるために 緩やかに曲がっている
歩道と民家のブロック塀とのあいだに不自然は空間がある
少し先に行くと民家の間に幅の狭い水路だけが続いている
それが国道から西に入る市道を突っ切り 明確なかたちで大きな本棟住宅の前を通る小道となる
その部分には大きな石碑が建っていて それなりの歴史を感じる
小道はほぼ直線で見通せ 中央道の側壁に向かっている
そうして墓地の脇から側道に出ることができた 航空写真上では中央道の逆側に続いているようなので
一旦国道へ出て 南側の側道を行くと 右に入る道路に出会う
水路とともに進み いくらか左カーブしながら
国道に向かう市道と直交する 水路はなおも続いていて そのまま進むと大井川にぶつかるが
橋で渡り 市道を横断すると1.5mほどの段差
階段のついた急なスロープの右側には石仏で 古道の雰囲気
さらに育良保育園の子育て施設 15年前に設計したアイ・キッズの前を通り
育良保育園のアプローチの石垣の脇を道なりに左折せず 直進する小道を下る
工場のフェンス脇の小道をさらに下ると
別の工場に突き当たるが ここで左に折り返し 民家の庭先を坂道で下る
と市道に出るのだが 右方向へは羽場大瀬木線の道路建設で通行不能
将来的には新設道路下をくぐって行くことになりそう
逆側から建設現場を見る
ここからは民家の間を ほぼ直線で通過
下山妙琴原線を横断して さらに続いていく ここで旧道にぶつかり右折すると石碑群
その前の細い道がそれのような気がする
力石が二つ ほかにも様々な石碑が並んでいる
細い道は別の小道にぶつかり ここを左折すると坂道
幅は4尺ほどで喜久水酒蔵本社にぶつかるまで下っていく
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以上のように下につづく道路は どうも旧街道ではないことが判明しました
ただこの旧道も昭和23年の現在の国道開通以前は 段丘を下るために造られた坂道であり
明治中期の松川橋の開通とあわせて使われた重要な道路なので しばらくはそのまま掲載します
(2018・4・1)
しばらくは国道を行くのだが 旧道もここを通っていたのかはよくわからない
切り通しの坂の下り口から左折して 育良神社方面へ
神社に向かう左折道路は無視して 道なりに坂道を下っていく
切り通しの坂が出来る昭和29年以前はよく使われていたようだ
切り通しの国道坂を正面にぶつかり
道なりに坂と並行に歩き 坂途中で国道と合流
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喜久水酒蔵の前から右折して 切石交差点
切石踏切を過ぎて進むのだが ここから道は緩やかに右に曲がっていく
むしろこのあたりで松川に出たのではないだろうか
松川堤防際の道を新久米路橋方面に下る
さらに久米路橋で松川を渡り 段丘を上って飯田城下に入っていく
松川周辺から飯田城下まではこちら
2010・10・22
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飯田以北 旧黒田村から旧座光寺村をへて旧市田村(現高森町)までを歩いてみる
なお松川を越えて飯田市街の部分についてはこちら
桜町の駅の脇の踏切を渡って大門町
右に木戸の石碑
大門町の交差点を過ぎると左にカーブ 続いて今度は右にカーブして
野底橋に出るのだが これがなんとも不自然な線形
真ん中が旧三州街道 川を渡るには左方向へ下りる道があったはず
先ほどのカーブは明治の新道で 旧道はことによったら
大門側からは真っ直ぐ河原に下りて 道路裏側を進んだような気もする
というか むしろ野底川の流路を新道建設の際 変えたことも考えられる
だとすれば 上の右カーブのところを 真っ直ぐ川に向かったかもしれない
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旧道の上り坂 途中に刑場・さらし場があったという 石碑はその供養塚
左は秋葉大権現の碑 右は庚申塚 古いのから新しいのまで
上黒田集落センターの脇を過ぎて 薬師寺の辻をさらに進む
丸昌稲垣の裏手から上街道と斜めに交差する
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そのまま栃ヶ洞の沢に出て 川沿いに小道を下ると小さな橋
橋を渡って民家の庭先を左折すると上街道にぶち当たるが
曲がらず抜ける上街道へ小道が旧道のようだ
ここでも石碑群
上街道をしばらく道なりに
右手奥が土曽川を渡る宮崎橋 ここでは民家の裏を通る という説が一般的だが
ちょっと信じられない
橋の上流で渡っているようだが 痕跡はあまりはっきりしない
左の部分で河原に下りて 川を渡り 右の部分で上がってきた ような気がする
宮崎橋の交差点で上街道を横切ってすぐ左折する旧道
そのまま上っていくと また上街道に出会う 右に座光寺史学会の建てた一里塚の碑
いくらかの上り坂で座光寺原の集落 本棟民家が2棟並んで その先が交差点
大きな養蚕農家があるが 1層分 道下になる ここに高低差があるので
道はジグザグの坂道だった模様 さらに左手には古墳
南大島川に出会って左折すると弓矢橋 ここから高森町に入る
旧道は左折せずに逆に右折して下っていく
途中の坂をこんどは左折 ジグザグに
小道を下りていくと ここで南大島川を渡る小橋
正面上のガードレールが上街道 南大島川の谷が大きいだけに
ここをさらにジグザグに上ることになる
2010・5・23
C伊能大図巡回フロア展追加
飯田市鼎体育館で開かれた巡回フロア展 入場料一般200円
床一面の日本大図は おおよそ3万6千分の1
飯田周辺では 赤線で伊能隊が通ったルートが記されている
こちらは中図と小図
やはり飯田周辺では人だかり
駒場宿から山本・大瀬木・北方そして飯田城下へ
山村というのが切石あたり そこから松川を渡って 箕瀬から城下へ
枡形が伝馬町と桜町のあたり 上飯田村は現在の大門町あたりか
神ノ峰の位置はまったくデタラメ
つづいて上黒田・座光寺・市田宿を通って大島宿(現松川町)へ
三州街道ルートについては 個人的にはいくつかの不明点があって
そのあたりが知りたかったが 場所の同定ができず 不明のまま
2011・5・18
※塩の道ウォーキングツアー飯田到着 (2019・8・8)
飯田の街中にウォーキングスタイルの一団 飯田最古(?)といわれる道標の前で記念撮影
世話役と添乗員の話では糸魚川から岡崎まで 全17回で日本横断するウォーキングツアーだという
今回は第4回目で1日目は塩尻から松川まで 飯田泊後 また松川にもどって 伊那街道を歩いてのゴール
大平街道の道標も注目ポイントのようだ なお飯田に生まれ育ったものとしては伊那街道と呼ぶには抵抗がある
トラベル日本の企画で生駒交通バスを利用 全員晴々とした表情で大阪への帰途についた
第5回以降は飯田から三州街道(伊那街道)を歩くという
ただ飯田以北の駒ヶ根・伊那あたりでは三州街道とは言わないようだ
また塩尻あたりでは むしろ三州街道と呼称することが多い そのあたりは調べてみると面白そうだ