箕瀬二丁目ディープ

 

おまけ 箕瀬三丁目・日限地蔵縁日 →jump

※廃屋解体 →jump

 

箕瀬は飯田市街地の西に位置する通りで 旧飯田城下のなかでも もっとも古い町筋といわれており

城下を通過する三州街道の入り口の在郷町として 商業的にも発展してきた

中心部の繁栄とともに 次第に周辺居住者にサービスする近隣商店街となり 現在はそれも歯抜けが目立つ

昭和22年の飯田大火も免れたため 区画整理も行われず いたるところに路地がみられる

1丁目から 3丁目まであるが とくに2丁目は大きな敷地が少なく 住宅密集地として残っていて

黄色で囲まれた部分が行政上の箕瀬 2丁目 ほぼ半径100m以内に納まっている

通りを中心にして南東と北西に広がっていて 北に箕瀬 1丁目 南に箕瀬 3丁目 緑の部分は段丘傾斜地で

昔の街道は 現国道256号方面より 坂道を登り 枡形から通りへ その先の大横町から本町を下ったようだ 

なお江戸期には足軽長屋が並んでいた模様で それらについては こちら

その関係から2丁目のみは長姫神社の氏子となっている

まず大きく周囲を歩いてみる 昔の坂道を登って枡形へ出る  そこから右折すると

左に日限地蔵を見て 通りの角へ

この部分は まだ3丁目 さらに白山通り方向 右手の黄色い建物が後藤酒店

通りを1丁目方向へ ほぼ2丁目の中心

さらに進むと左に柏心寺 ここは1丁目になる 正面の焦げ茶の建物は廃業した後藤書店

その旧後藤書店と柏心寺の間の小道を進むと 源長川沿いの寺墓地の石垣の交差点に出る

これを左折して旧飯田城の空掘といわれる石垣に沿って裏通り 右手が味噌製造のマルマン工場

一旦 後藤酒店の倉庫脇に出るが 路地はさらに続いていて クランクしながら

最終的には 先ほどの旧街道からの登り口に戻ることになる

夏にその路地に迷い込み 時代に取り残された風景に興奮したことがある

路地の奥は部外者としては入っていきにくい空間ではあるが 記録に残すべく歩いてみた

@ 箕瀬表通りから裏通りへの路地

表の通りから裏の通りへ抜けられるかどうか 歩いてみた クランクして長屋にぶつかる

長屋の脇にちょっとした広場があり そこから細い路地で裏の通りへ出ることができた

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A 後藤酒店の脇を長屋方向へ

後藤酒店の店舗と倉庫の間の細い路地を抜けると上の広場に出る

どうも長屋の1軒を解体した跡地のようだ

長屋の前の路地を進むと 一部長屋を建て直した2階家があったりするが 最終的には柏心寺の手前に出る

突き当りを右折すると路地が真っ直ぐ 箕瀬の表通りへ 右写真は出たところ

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B 裏通りから長屋前を抜けて広場へ

前回 長屋から裏通りへ出られそうだったので 逆側の裏通りから入ってみた

1人がやっと という細い路地を抜けると 長屋の角へ そこから長屋の前を前回と逆に進むと広場に出る

C 大橋丹治(株)から大久保町方向へ

大橋丹治(株)は水引の卸店 社屋の南側の道路を大久保町方面に

柿の木にぶつかりクランクするが クルマは何とか通行可能 左に突き当たりの路地

さらに大久保町方面に進むと 福祉施設「はなみずきの郷」に出る その建物脇の駐車場にも細い路地

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D 箕瀬3丁目方向への路地

上の柿の木から右に細い路地 民家に突き当たって右折すると空き地に出る

空き地の脇を抜ければ表通りへ行けそう 逆側は福祉施設の駐車場へ

空き地から先に進むと突き当たり 右手はやはり表に抜けられそう

クランク状に進むとやはり突き当たり そこからも表通りまでの路地

上の突き当りを左に真っ直ぐ行くと 廃屋のある3丁目方向に出る 右写真は逆方向から

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E 福助パン新店舗から大久保町方向へ

箕瀬3丁目角の福助パン新店舗 1丁目の市庁舎改築に伴い新築移転したもの この脇に小路がある

廃屋の前をずっと行くと 大久保町の通りにぶつかる

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とまあ今どき珍しい迷路のような一角でした なお我が家の敷地にも 箕瀬 2丁目が一部ふくまれています

2012・12・3

 

廃屋解体

景観上問題となっていた上の廃屋が解体された

屋内から屋根を突き破って桐の木が生えていたが

左の波板トタンが廃屋 ある日重機が入り作業が始まり

数日のうちに更地となった ただ廃屋予備軍が数多存在している

(2018・4・24)

おまけ 箕瀬三丁目・日限地蔵縁日

 

 

 

昭和黒壁住宅

ときどき見かける黒壁の住宅 歴史研究所の樋口研究員から調べてみたらどうか といわれたが

当面は止めておきます と答えた それでも気になって できる範囲でまとめてみた

市街地で目に付く 伝馬町2丁目・警察署前交差点の菅沼家 大火以降の建築で黒漆喰の真壁

昔を知る左官屋さんに聞いてみたところ 漆喰ではなく 黒大津壁だという

こちらは くつわ小路の入り口の民家 ところどころ仕上げの黒壁が剥がれている

色土に少量のスサと石灰を混ぜ ニカワをくわえたあと松煙を入れて練り上げるのだそうだ

それを半年ばかり寝かせたあと 土壁の上塗りとして仕上げるという 塗り厚は1mmほど

よく見ると横にコテ痕が残っていて むしろ左官職人の美学としては

いかに均等に線を残すのか が腕の見せどころだったようだ

愛宕坂の加藤酒店の増築部分(左側)

時代ははっきりしないが 土・松煙ともに このあたりにはないもので建材屋が開業した後のようだ

さらに土には青土(あおつち)と黄土(きいつち)があり 黒大津は発色性から青土により 施工単価も高かったという

ただ青土とは青崩峠周辺に見られるような 青みがかった灰色だったようだ

また雨にさらされる腰の部分は蛇紋石の洗い出し仕上げが一般的

この建物は加藤酒店より愛宕坂を60m下った 加藤家 腰は なまこ壁

さらに段丘下の水の手町の曽我家 腰は正統派の洗い出し

やはり愛宕町の一角の本島家 母屋部分は黒大津のようだが

塀部分は松煙を入れた漆喰のようにも見える

(2018・7・17)

 

八幡旧街道町家・犬塚家改修

(2012・5・10)

八幡旧遠州街道に面する築200年といわれる町家 

大正年間に新道が開通し ほどよいスケール感の昔ながらの旧道風景

長らく空き家となっていたが 写真の飯田市歴史研究所市民研究員・岸部大輔さんが立ち上がった

地元グループや歴史研究所建築史ワークショップの面々の協力で掃除と改修を自力で行い

公開できるところまで持ち込んだ このほど ちょっとした市民アート展を開催

もともとは古道具屋だったという

通り庭に面した壁には その改修経過のパネル また地元建築科高校生による模型展示など

飯田市の中心部の町家が昭和22年の大火で殆ど失われただけに

その時代を伝える貴重な遺産 しかも行政に頼らずここまでもってきたのは立派のひとこと

今後の積極的な活用を期待したい

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その後 リノベーションがなされ 現在はゲストハウス&バーとして営業中 →jump

 

愛宕坂現存町家・加藤酒店

(2018・7・8)

前から気になっていた古民家 造り酒屋だった愛宕町の加藤酒店

手前と奥の土蔵は増築 真ん中が町家部分で古いものと思われる

いわゆる厨子(つし)2階という丈の低い2階屋 低いほど古いかたち といわれているが

松尾八幡の町家や上街道の解体された町家は これより相当高い

表は瓦葺きだが 横からみると奥の屋根はカラー鉄板

右写真は増築建物の間から鉄板部分を見たところ

さらに橋南公民館の3階から そのあたりを確かめてみた 手前の2棟が酒蔵

つまり もともとは板葺きの石置き屋根だった と思われる

大火以前の町家で残っているのはここだけではないか 貴重な古民家である

なお隣接する酒蔵については こちら

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