りんご並木と桜通り

 

※人形時計塔パクリ疑惑? →jump

 

飯田市街地の都市構造は城下町の町筋が基本となっている

それに明治維新期の堀埋立てにともなう構造変化にくわえ

飯田線開通時にも大改造があったような形跡があちこちに見られる

さらに昭和22年4月20日の飯田大火で中心部4010戸が消失

復興都市計画では3本の防火帯を設けることが主眼となり

都市構造は大きく変わることになった もし火災がなければ

おそらく現在の高山のような街並景観が見られたのではないだろうか

 

飯田大火の復興都市計画から中心部につくられた幅35mの防火帯

昭和28年飯田東中の生徒らにより植えられた「りんご」の並木

扇町の飯田動物園から始まる延長400mの街路

右は動物園を振り返ったところ

 

右の再開発ビルの脇 夏の初めには白い花

平成11年公園化工事が完成した

 

(左)本町交差点と (右)通り町交差点 角には土蔵 通称「三連蔵」

ただクルマも通行し しかも相当な交通量でのんびりはできない

ここは早急に歩行者専用路とすべき

もう一点 川越や喜多方の蔵造りの木造建築と土蔵との混同にも注意

蔵造りは防火を考えた住宅・店舗で それなりの居住性はある

しかしこの土蔵は町屋の一番奥にあったものが 道路の拡幅などで

たまたま表に出てきたもの したがって居住性に難点がある

蔵の利用はわりとわかりやすいが上記の点は注意しておく必要

 

そして松尾町交差点から中央通り交差点まで下っていく

 

 

ここからは桜通り

つづいて谷川を渡り 緩やかな上りの桜通りが始まる

谷川はこの地上面よりそうとう深い位置にあり 大火前までは

こちら橋南地区とむこう橋北地区を分断していたらしい

右の中部電力飯田支社前 交通安全宣言塔も 今となっては役目を終えた

美観の上からは困り者

(その後 12月9日に解体された)

3月末から4月にかけては桜のトンネル

ロータリーを通って曲がりながら (ロータリーについては→こちら

夏には木陰

春にはこんな感じ

ただ植えられて50年 そろそろソメイヨシノの寿命に近づいてきた

桜は新しく植え替えができないので

今後しっかり手入れしてできるだけ延命策を考える必要

 

JR飯田線大宮踏切を越すと 突き当たりに大宮諏訪神社

*

2008・9・5

 

大宮桜通り・片側1車線化社会実験

3月20日より桜の時期をはさんで1ヶ月間の予定での社会実験

谷川橋から 吾妻町へ さらにロータリー

東新町・錦町 踏切越えて諏訪町交差点まで

もともと交通量にたいして2車線の必要はないため 減車線については問題はなさそう

ただ大通りにたいして交差する地区内生活道路は ほとんどが遮断されている

つまりは将来的に桜並木のプロムナードを連続させ 公園化する意図がありそうだ

歩行者優先は結構だが ときどき自転車で通行する場所でもあり

せめて今のように隙間を空けての自転車や歩行者の横断通路は確保してもらいたい

(2018・4・19)

 

人形とけい塔ハミングパル解体

谷川橋上の緑地に新時計塔の設置が計画されている

昭和63年に設置された時計塔は正時には扉が開き 人形が上下していたが

老朽化には勝てず 役目を終えることになった

レッカーで持ち上げ横倒しの本体だが トップの人形(時の番人)は再利用するようだ

取り払われた跡地には基礎部分が残っていたものの

それも取り払われ 芝が植えられていた

(2018・7・5)

 

新人形時計塔

8月上旬の人形劇フェスタに間に合わせるために工事開始

鉄筋を組上げ 仮囲いに中では型枠作業

型枠解体して脚部のコンクリートが垣間見える さらにレンガタイルで外装

 

そして上部に時計塔を載せ竣工を迎えた

正時の人形出現を子どもたちが待っている

それにしても ダサいデザインだ 塔自体のバランスも悪いし 脚部のレンガタイル張りの必然性も感じない

とてもデザイナーや彫刻家・建築家など造形アーティストが関与したものとは思えない

デザイン案検討などは市民会議がおこなったというが いつものとおり市の担当課が進めたものだろう

これも推測でしかないが おそらく人形メカの製作会社に案を出させて

そのまま承認というかたちになったのではないか

街なかのデザインにたいして無責任なのは市役所の改築計画においても見られたこと

メカと造形との調整は簡単ではない がそこを 時間をかけて じっくりと検討してもらいたいのだ

そして10時になり 窓が開いて音楽とともに人形たちが上下する

終わると どこからか拍手が起こっていた

 

これはフェスタ期間中の8月5日午後7時

(2018・8・21)

人形時計塔パクリ疑惑?

ある人から新人形時計塔が鎌倉駅の時計台に似ている との情報があった

ネットで検索してみると 結構有名らしく いくつもの記事と写真を見ることができる

もともとは旧駅舎の屋根上にあったもので 愛着があるとして 保存の要望があったらしい

おそらくデザインには苦労したと思われるが それなりにまとまっている

飯田市の人形時計塔のバランスの悪さとくらべると違いは歴然としている

(なおこの写真は岡戸秀仁さんのHPから無断借用しています

近日中にオリジナルと交換しますので 岡戸さん しばらくゴメンナサイ)

(2018・10・16)

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