しもじょう道・遠州街道

追加/八幡から鼎橋編

三河豊橋に向かう三州街道にたいし

南部方面の天竜川に沿って遠江浜松に抜けるのが遠州街道である

明治期には金刺街道とも呼ばれていたらしい (それについては別項参照 こちら

現在の国道151号のルートがほぼ沿ってはいるが 旧道として残っている部分も多い

飯田市へは阿知川で隣接する下条村から入り 正確には八幡の町まで至り

秋葉街道(あきは道)と合流する

今回も三州街道の旧道探索と同様に 地形図から旧道を推定し

それに基づいて部分的に歩いて往復し確認を行ったものの

例によって大胆な推測から 実際とは異なるところもあるかも知れない

 

@ 万歳橋から開善寺編 →jump A 開善寺から八幡(やわた)編 →jump

B八幡から鼎橋編

鳩ヶ嶺八幡宮から松川を渡る鼎橋まで

造り酒屋だった吉川酒店の前の八幡旧街道を進むと

文化甲子年と記された道標 左の坂が八幡坂 直進は座光寺街道

なおこの先で墓地に入り 古墳脇を通って下山に出る小道もある

馬頭観音もあり 一説には古い座光寺街道だという(後日報告)

アップルロードの下をくぐって常盤台団地の前を直進

ただ当時の街道はこのど真ん中を通過していたようで一部その形状らしきものが窺える

団地の端で右折し さらに途中で左折

常盤台の信号の南側を突っ切り OIDE高校グランド脇を進むが

街道の線形は右手ナガイ倉庫の真ん中を走っていたような気がする

ほぼ直角に北方向へ向かうと 牛草坂の肩口

ここは飯田城をはじめ丘の上と風越山を望む風景

結構な急坂を下ると石碑群 ここを右手に方向を替え

五平餅屋・ストアー牛草の裏手を道なりにやや左方向 拡幅された道路を突っ切り JR飯田線の踏切へ

ただし踏切は封鎖されて通行禁止

建材会社ナガイ本社を右手にみて進むと ここでも道路を突っ切り谷口醸造工場の間を進む

そのあたりに道祖神があったが平成15年の刻印 その右の丸っこい石碑は弘化年代

阿島道との追分をしめす道標へ到着 このまま左方向

なお正面建物の前を右折すると松川に出る

下茶屋の町を進み 右手の大きな町家の先が交差点

ここを右折すると鼎橋 さらにその先は愛宕坂を登り 飯田城下へ 愛宕坂については こちら

当時は橋は無かった模様で下橋場と呼ばれていたらしい たしかに本来この道は松川に向かって下がっていたようだ

ただ先ほどの道標の手前に松川を渡る水の手橋にいたる道がある

大きなエノキの下にはいくつもの馬頭観音が並べられている 大きく移されたものとも思えないので

意外にこの松川沿いに愛宕坂方面に向かう利用があったかもしれない

(2013・7・24)

*

A 開善寺から八幡(やわた)編

 

開善寺 奥の山門が重要文化財 ここには寄らずに道標を右折

川路の平方面に下って行って 区画整理道路を左折

(前回はそのまま直進して別の道に入り込んだ) さらに奥の橋を右折

するとそれらしい小道がクネクネ

しばらく直線で上り 国道に通ずる道路を横断して 駒沢川を渡り 旧家の前を大きく迂回

少し坂を上って道なりに右方向

上ったり下ったりしながら県道方向に進んでいく

  

時又から桐林に上る県道へ出て

少し行って土蔵の脇を右折 竜丘小学校の裏手の坂を上る

左手に竜丘小のグランド 右手に竜丘支所を見て直進

今度は新川に向かって下りて行く

  

新川を渡って民家の間を抜け坂道を上ると 平らな部分を直線で国道方面

国道の上を長野原への県道が陸橋で越えているが

そこを突っ切ると下に降りる階段があり 民家の間を抜けて

空き地のところで先方の直線道路にジグザグに抜ける

  

突き当りを右折 道なりに左に曲がりながら小さい段丘を下り

道にぶつかったら左折してみる ここらはあまり自信がない

少し行くと民家の前に細い下り道があり いかにもそれらしい感じ

竹薮の中を毛賀沢川に下る道は古道そのものの雰囲気

小さな鉄の橋を渡りまた真っ直ぐの上り坂

複雑な交差点になっているが左折しての上り 風格のある民家を正面に目指す

その上りきったところで段丘の裾をほぼ直線に進むと

一里塚の碑がありオジさん二人が何やら作業中

  

そこを過ぎると 飯田では有名な「くよとの桜」

見事な枝垂れだが 午前中でないと陽が当らず 映えない

  

さらに飯田女子短大の代田山の裾を北へ

民家の間を抜けて段丘へ上る道を横断

いよいよ八幡の昔の街並みの続くあたり

左手に鳩ヶ嶺八幡のところで秋葉街道にぶつかる

秋葉街道はここで右折し 飯田城下をめざすことになる

左端に道標が見える

2011・5・6

*

@万歳橋から開善寺編

 

国道151号万歳大橋 手前が飯田市 向こうが峰竜太で有名な下条村

万歳大橋は昭和47年の竣工 高さ55m長さ170mの鉄骨アーチ橋

それまでは手前のコンクリートアーチの万歳橋 (昭和10年) で結ばれていた

「まんざい」と呼ぶらしく ユルい感じもするが いろいろありそう

左写真は飯田市側から 右は下条川からの万歳橋

橋はかなり老朽化しているが 阿知川の屈曲点にあたり高さはある

ネット情報によると明治29年に木橋が架けられたといわれるが 丸太では無理な距離

下条村史によれば それ以前には600mほど下流で渡っていたとあり

後日その痕跡を捜してみたが みつからなかった

むしろ右写真のように少し上流に向かい

木々の間を通して見ると 阿知川の屈曲点にまで降りられそうだ

案の定 田圃の畦道を下ると川面に出た このあたりに丸太の橋があったと推測したい

そこから曲がりくねりながら国道へ上ってくるのだが

その途中から見た万歳大橋 古道は点線のように田圃の畦を上ったのかも知れない

「下瀬しあわせ村」 は元はログハウスのリゾート施設だったが 現在はデイサービス他の福祉施設

上りきったところで国道にぶつかり ここを突っ切ってサークルKの脇を下っていく

 

ここらはわかりやすい道でほぼ真っ直ぐ

弟川橋を渡ってヘアピンの上りだが ここにも古くは急な坂道があったかも知れない

二タ井(ふたい)のバス停がちょっとした峠で 天竜峡方面に下っていく

(その後 右写真の道路右側にあるのが細い道で しばらく並行し 曲がりながら

国道につながることが地図上で判明した 後日訂正したい 2011・3・9)

 

三遠南信道の下をくぐる手前で公民館脇の新道へ左折

ここから先は三遠南信道にくわえ 川路地区の区画整理で風景が一変

新道から右折 三遠南信道のガードをくぐって 諏訪神社の前の小道を前進

国道に下りて行き 民家の手前の小道を右折すると

国道と並行する旧道に出る

           

大畑沢の曲がりを過ぎると 地形的に平坦となり

ほぼ直線で国道にぶつかり 天竜峡入口の交差点から

旧道を下って川路の平に入っていく ねぎや沢川通過 南沢川に沿って

区画整理事業が完成した一部をしばらく北上したのち 留々女沢川を渡って旧道に戻る

川路支所下の辻から

いかにも旧道らしい佇まい 大きく右にカーブして

相沢川を渡り

小さな古墳の脇を通って 久米川にほぼ直線で下りて行く

四丁橋を渡って開善寺の南側に出る

ここに自然石の道標があるが判読できず

2011・3・6

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