狛犬ミニ鑑(かがみ)&神社手引き

最近読んだ たくきよしみつ著 「狛犬かがみ」 に触発され また以前から神社の紹介も

キチンとしなくちゃいけないな と思っていたので 狛犬さがしと合わせて訪問してみた

ただ当然ながら稲荷系神社には 狐は居ても狛犬は居ません

飯田市街地・上飯田 →jump 上郷・座光寺 →jump 鼎 →jump 八幡・弁天 →jump 毛賀・駄科・桐林 →jump

 山本・大瀬木・北方 →jump 三穂方面 →jump 長野原・時又 →jump 川路方面 →jump 下久堅方面 →jump

竜江方面 →jump 上久堅方面 →jump 千代方面 →jump 千栄方面 →jump

*

※上村中郷・正八幡宮 →jump

 

集合・江戸狛犬

江戸期に造られた狛犬を集めてみました こちらは阿形 なお七久里神社の狛犬は阿形が左 吽形が右となっています

左から 山本・七久里神社(奉獻年不詳) 下中村八幡宮(延保6年) 鳩ヶ嶺八幡宮(寛保3年)

今宮郊戸神社(文化5年) 大宮諏訪神社(安政3年)

対する吽形も 同じく 山本・七久里神社→ jump  下中村八幡宮(1678年) →jump 鳩ヶ嶺八幡宮(1743年) →jump

今宮郊戸神社(1818年) →jump 大宮諏訪神社(1856年) →jump

 

※番外・高森吉田神社狛犬

先日別の用件で訪れた高森町吉田神社の狛犬

神社研究家・注連縄狛犬さんによれば奉獻年は宝暦2年(1752年)

人面的な面白い表情をしている

(2015・4・2)

*

中郷正八幡宮

さらに国道を北上 豆嵐トンネルを出て300mほど進んだところから 逆方向の山道に入る

中郷集落の中心部から 少し下ったところに大きな屋根 ここも霜月祭りのためか広い駐車場

駐車場から建物脇をすりぬけ 正面に ところがそれより西側に石段を下ったところに石造の鳥居

これが本来の参道だと思われるが 行き止まりとなっている

石段の左右に 珍しく狛犬が鎮座 平成14年瀬戸市在住の人が奉献という現代型狛犬

建物はむしろ新しい感じで 煙抜きの越屋根がついている

中を覗いてみたら 中央に湯立て用の竃 昨年の霜月祭りも地区外の助っ人をえて無事開催したという

(2020・1・9)

 

上村風折・的場稲荷神社

国道152号を 上町から北へ1.2km やはり上村川の左岸 西斜面を上る

狭い敷地に無理やり納めたような稲荷神社 右写真は内部 奥にご神体 手前の拝殿には何もない

(2019・12・29)

 

上村上中根・根野上神社

上町から中立を通過して下栗への途中 上中根にある

霜月祭りの神社にくらべ 開放的な神社らしい佇まい これならお参りという言葉には似つかわしい

(2019・12・15)

 

上村中立・正一位稲荷神社

上村の上町から下栗に向かう山道の途中に稲荷神社

ここも霜月祭りの湯立て神楽が行なわれているというが 今年は神事だけという報道

やはり常時扉に閉ざされた神社で それで稲荷神社というのがわからない

裏側に廻ると いかにも湯立て神楽の楽屋という感じ

(2019・12・1)

 

上村八日市場・日月神社

木沢から国道152号を北へ 3kmちょっと 上村川左岸の八日市場の集落へ上る

鳥居は西の上村川方向に建っていて 霜月祭りのためだろうか側面に広い駐車場がある

ただ今年の霜月祭りは 湯立ては行なわず 神事だけだという

ここも非常に閉鎖的な建物で 裏側からも

表側からも中を窺い知ることはできない

(2019・11・19)

 

小嵐稲荷神社

千代と上村・木沢を結ぶ古道 標高1020m 木沢から 4km 500m登ったところにある

3本の鳥居をくぐり 青いシートの休憩所を通過するのが参道のようだ

休憩所からの山道の脇には小鳥居がびっしりと並んでいる

さらに本殿への丸太を並べた階段の両脇にも お礼参りに奉納された小鳥居 やや不気味な風景

例大祭の日には扉が開き ガラス戸の社務所に氏子が詰めるようだ

小嵐神社までの林道歩きについては こちら

(2019・11・3)

 

上村木沢・正八幡宮

木沢の集落の象徴は廃校となった木沢小学校の木造校舎

そこから道路下に正八幡宮がある

ほかの霜月祭りの神社と同様に閉鎖的な神社空間

学校側から側面を見ると 奥には本殿がある

正面扉の障子の破れ目から中を覗くと湯立て用の三連竃が見えた

(2019・10・22)

 

上村下栗・拾五社大明神

斜面集落の真ん中あたり 集会所の脇の小高い部分

拝殿には鍵が掛かっていて内部は伺いしれない 右側面に廻っても同様

かなり違和感のある神社構造で 逆にいえば霜月祭り専用という感じ

(2017・7・6)

 

遠山郷上村上町・正八幡宮

遠山谷に入って 国道152号に沿って下り 秋葉街道の宿場・上町

宿場の北の端 小さな丘の上が 霜月祭りの行われる神社

さすがに整備された石段を登り拝殿へ

引き戸を開けると板張りの祭り空間 湯立て神楽用の竈が鎮座していて

竈正面の格子戸の向こうが本殿

石段の上から鳥居方向 左が保存民家・ねぎや 右に祭り伝承施設・天伯がある

(2017・6・25)

遠山郷上村・程野正八幡宮

逆光でよくわからないが新道から50mほど入った旧道の高いところ

区民センターから正面に廻り込んで

石段を上がると建具で囲まれた拝殿

隙間から覗くと やはり板の間の中心に湯立て用の竈 拝殿右手には御柱が1本立っている

(2017・8・8)

*

上久堅・平栗神社

上久堅と千代を結ぶ幹線・県道83号からは少し見下ろす位置になる 赤い屋根は集会所

山間部にもかかわらず 境内はそこそこに広く さまざまな行事に使えそうだ 

山の斜面に拝殿と社務所 その裏側に本殿がある

(2016・7・10)

 

上久堅・相原稲荷社

喬木村へ抜ける県道の西側 集落は住宅地図によれば原平とあり 相原稲荷の表記

石の祠だが社務所らしきものが境内?に存在している

稲荷に狛犬とは全くの謎で しかも狛犬の彫り自体がこの伊那谷には見ない造形

石の鳥居に平成4年 長谷部平吉の表記があり このあたり出身の実業家が建立したようだ

境内の手入れも ほとんど見られず 地元の人に経緯を聞いてみたいもの

(2016・2・25)

 

上久堅柏原・山ノ神社

お隣は喬木村という のどかな集落 見事な枝垂れが鳥居の両脇に

境内の西側の社務所がやや不思議なかたち 側面からは社務所券集会所という雰囲気だが

妻側をみれば幅4間の舞台風

上久堅では珍しく狛犬がいて 大正5年奉獻だから もう百年にもなる

なお参道左の吽形はデータを紛失したので 阿形のみの記録

社殿というより単なる覆い屋

(2016・1・12)

 

上久堅堂平・神明大神宮

井戸入りんご団地の一番奥に鎮座 なぜここに神社があるのかわからない

平成4年に石造鳥居を新設したようだ 農村舞台の裏に本殿

舞台は下条陽阜の合原皇大神宮のものに似た形で そんなに古くはなさそう

細長い手製の卓子が3脚置かれ 社務所的な利用がされた形跡

(2015・12・20)

 

上久堅小野子・諏訪社

小野子の中心部からは東に下った台地の際

諏訪神社で今も盛大に立て御柱行事をつづけ 来年がその年

境内には3本の御柱 左が女木 右が最も高い男木 さらにその右に半分ほどの子供木

拝殿は新しいもの 神社に隣接した平に木造建物 これも分教場のような雰囲気だが

(2015・12・6)

 

上久堅越久保・富士神社

越久保集落の中間 小川路峠に向かう旧秋葉街道・国道152号の右手

中段の広場に面して西向きに農村舞台

さらに1段上がって拝殿

標高は800mを越えていて境内からは遠く飯田の市街地を望む

(2015・11・24)

 

上久堅風張・久堅神社

風張の中心部より北側の少し下がったところ 建設中の三遠南信道路脇 石段登って拝殿

境内には東向きに木造建物 これはどう見ても分教場の雰囲気

さらに昔には農村舞台があったものと思われる 三遠南信道路の向こうには神ノ峯の鉄塔群

(2015・10・27)

 

上久堅大鹿・神明社

千代への県道の尾科から玉川沿いに上ると上久堅大鹿

なんとなく豊かな雰囲気を感じる集落だ

拝殿のすぐ前を新しい道路が通過 境内は2つに分かれてしまった

道路下から石段を登ると 滑り台

狛犬は平成2年奉獻の小振りの現代型 小獅子玉乗りタイプ

道路のために境内の余裕は全くなく 鳥居も木製の靖国型

小さな遊園地からは旗竿を通して神ノ峯を望む

(2015・10・15)

 

竜江から千代地区へ

 

千代・野池神社

千代の中心部 米川からは急傾斜の坂道で上の平へ 幟が立って祭りの雰囲気 信濃国二の宮の石柱

諏訪神社だから梶の木の神紋

狛犬は昭和49年奉獻の現代型

拝殿右手は社務所さらに右手に舞台がある

ブルーシートは前日の夏祭り芸能大会用だという

(2017・8・22)

 

千代大郡・諏訪社

荻坪・法全寺と山道の大廻りの神社で疲れ果て そのまま帰路につき

今度は県道237号を下り始め 途中右手に諏訪社の石柱

舗装道路の右手に小道があるが 懲りているので また大廻りすると意外に簡単に集落センターに出た

センターの建物の南側にそれらしい屋根の形が垣間見え 表へ廻ると入母屋の拝殿

ここでも順序が逆となってしまったが 鳥居の下の石段は さっきの小道に続いていた

(2016・11・24)

 

千代・山中春日社

千代・法全寺から標高にして100mほど登った山中集落

国土地理院の地形図にも載っていなくて 田舎道を探した

意外にも狛犬が鎮座 金婚記念の現代型で平成13年の奉獻

わずかに引き戸があいていたので内部を撮影

側面から見ると 小さな広場に面して 3間ほどの牛梁 舞台にも見えないこともない

石段の上から 山の向こうは泰阜村だ

(2017・7・20)

 

千代法全寺・熊野三柱社

千代米川から県道83号で隣は泰阜村 左に立派な石造鳥居

石段を登って 直進する道があるが 勘が働いて畑の中の舗装道路を北へ

畑作業のオジさんに お宮への道を聞くと そのまま行けばゲートがあるから それを開けて登るようにと指示

途中から舗装はなくなり 山道の様相を約10分 それでも軽トラなら行けそうで 神社の裏側が見えてきた

表に廻り込んで拝殿の写真を撮ったあと 本来の参道を覗きこむと これまた登山道の雰囲気

オジさんが勧めた理由がわかった 人の通った形跡がなく この下は荒れ放題

鳥居から北へ向かったところから法全寺の集落

(2016・11・3)

 

荻坪・河原澤八柱社

県道247号を竜江から千代に入ると荻坪集落 旗竿柱が道路沿いにあったのだが

参道は民家の敷地を通りそうだ 居合わせた人に聞いたところクルマで行ける道があるという

千代の米川の入り口から山の中を延々と自転車で進むと神社の裏側に出た

表に廻って さらに本来の参道を下ると

石造の鳥居 ただその先からは植林の中の登山道 隣の竜江・大屋敷の富士浅間社とほぼ同じ

(2016・10・23)

 

田力・大山祇社

県道247号から平行する旧道の小さな集落だが 平地が多く名前の通り しっかりと水田利用

道から山手に向い回り込んで 長い石段の先に新しい石造の鳥居

やや狭い境内に本殿 そこから集落方向を見下ろす

(2016・7・5)

 

千代米川・廣旗八幡神社

千代・米川への入り口 米川峠を少し下った位置 その山腹に靖国型の鳥居 一の鳥居は石造

狛犬を通過しての 二の鳥居は銅板製

さらに石段を登り境内に拝殿 意外に立派な本殿の裏側

狛犬は昭和50年奉獻の顔の大きな現代型

石段から南に遠く 米川の集落を望む

(2015・9・20)

 

竜江から千栄方面

千栄・米峰神社

神社はやはり千代へ向かう道路の小峠の頂上に位置している

意外に広い神社境内で 民家はここより下の山間部に散在している

社務所と一体化した本殿は東向きで逆光状態

格子戸から中を覗きこむと 拝殿スペースの奥の格子戸より奥が本殿

(2017・2・14)

 

千栄毛呂窪・天伯社

そもそもが山間に散らばった集落で 市道は高いところを通っており

千代へ向かう小峠の道路から石段が続く

石造鳥居をくぐった境内は意外に広く 正面に本殿

本殿向かって左に社務所があるが 大きな牛梁で3間の舞台ともとれる建物

(2017・2・2)

 

下村・六付社

県道1号線で千栄地区に入り 三遠南信自動車道の工事現場のすぐ上

ここも道路改良で境内地が削られたような感じだ 拝殿の奥に本殿あり

狛犬は平成元年奉獻だから 造形にはまだ昭和の雰囲気がある

(2016・10・13)

 

下久堅から天竜川沿いに南の竜江地区へ

安戸(やすんど)八王子社

ここもやはり竜江村以前は安戸村という時期があったようだ

千代に向かう県道237号尾林の手前 左側の石段を登る 池の縁を西に横移動して

さらに長い石段の途中の鳥居をくぐり 境内へ 1段高いところに拝殿

特筆すべきは拝殿西側の舞台風の小屋 間口3間だから舞台としての利用は難しい

吹きさらしの社務所というべきか 右写真は境内から石段 さらにその下に県道

(2016・9・11)

 

尾林・八幡社

古くからの道や川が集まる小さな平では 明治以前の旧村が隣り合う傾向があるようだ

下の和世田社から千栄の毛呂窪に向かう道に入ったところ 逆光の不鮮明な写真だが 西方向に長い石段

 そこに至るには民家の庭先を通る必要がある 裏手に廻ると山道が続いており

2段になった境内に出る 下の段の建物は集会所の様子 社屋も北西向きで

裏手住宅のジイさんに話を聞いたら 参拝は民家の庭を突っ切っていくのだそうだ

(2016・8・16)

 

宮沢・和世田社

竜江でも尾林地区だが 明治の竜江村成立以前は宮沢村といったようだ

本殿は社務所と一体化 右写真は境内から尾林方面を見たところ

右手 500mほど離れての小山には旧尾林村の八幡社がある

竜江には少ない狛犬の存在 平成18年の奉獻という現代狛犬だが

飯田下伊那には珍しい造形 鼻のあたりがワイルドすぎて違和感あり

(2016・7・28)

 

竜江大屋敷・富士浅間神社

県道247号大屋敷集落の西側の山中 地図で目星をつけたが人の通った形跡はない

やがて植林地の中の山道 ほんとにあるのか と不安を抱きつつ登ると

石段と木製鳥居 さらに石段が続き 石造鳥居をくぐって本殿へ

通りかかった人は 雲母に抜ける峠から本殿裏に出る道があるという

(2016・6・28)

 

竜江雲母(きらら)浅間神社

竜東中学の道をへだてて 火の見の奥に集会所 その裏手に神社

鳥居は簡素な木製 石段を登ると新建材の拝殿

(2016・6・19)

 

竜江尾科・諏訪神社

県道247号を千代方面に 稲葉峠を越えて下りたところは竜江尾科地区

集落を過ぎた右手に諏訪神社 県道から一旦下って文吾石を左手に見て参道を上がる

一の鳥居からさらに石段を登ると拝殿兼社務所 新築したようだ

1段下の境内には小さな農村舞台 境内から北側の稲葉峠方向

(2015・8・25)

 

竜江・神明社

天竜峡に近い宮の平 そのお宮がここ ずっと前に来たときはもっと広い境内の印象だったが

拝殿左側に東に向かって 廻り舞台付きの間口9間と大きな歌舞伎舞台は改修済み

南に向かう拝殿と奥の本殿

狛犬は昭和52年奉獻の現代風小獅子玉乗り型

(2015・8・2)

 

竜江・子ノ神神社

竜江の中心部・羽入田から少し上った場所

飯田市支所・郵便局・消防署・駐在所などが集中する地区にかかわらず 簡素な神社なのは何故か

(2015・7・23)

 

竜江・大宮八幡神社

県道1号線に沿った西側の細長い敷地 奥が時又方面

鳥居をくぐった左側に「今田人形の館」 もともと大正年間の粗末な人形舞台があったのだが

地元の熱意で建て替え 手前の舞台で人形芝居の公演 奥に練習場やら人形収蔵庫 裏側は段丘崖

突き当たりに南に向かって本殿

狛犬は昭和13年奉獻

(2015・7・12)

 

竜江・春日神社

石楠花で有名な保寿寺から沢一つへだてて やはり河岸段丘に面した眺めのいい場所

折から春祭りらしく 幟旗が地区のあちこちに立っていた

遊具も置いてあるのだが 境内はまったく無人で静か

狛犬はやはり小獅子玉乗り型だが奉獻年は彫が浅く読み取れず

(2015・6・30)

 

下久堅稲葉・春日神社

稲葉峠を越えて 少し下ったあたり 石段の上からは稲葉の集落を大きく見渡すが

何と石段の上には集会所が正面にドンと陣取り 拝殿には集会所の真裏へ狭い通路から廻り込む

さらに石段を登ると拝殿 奥には本殿 というかこれも覆い屋の簡素な姿

(2015・6・11)

 

下久堅南原・諏訪社

下久堅南原の古刹・文永寺の平からさらに上の果樹園の中

木造の鳥居と拝殿というか覆い屋といったらいいのか 簡素な造り

狛犬は昭和 8年奉獻の小獅子玉乗り型

(2015・5・17)

 

続いて柿野沢方面

旗竿が見えたので近づいたら 民家の脇に細道

これじゃ行けないよ というわけで元に戻りこの民家の裏側から進むと鳥居

神社の名前も不明だが 隣接した社務所?には角領集会所と書いてあった

右写真は神社側から参道と旗竿方向

 

また農免道路を先に行くと崖の上に鳥居があったので お邪魔してみた

造成された石段を上ると小屋 社務所というには風情がない さらに灯篭の間の小道を上ると

本殿と覆屋 眺めはいいが ここも神社名は不明

 

熊野神社

さらに農免道路を進むと道路西側に熊野神社

そのまま丘にそって西方向の参道を行くと鳥居

石段を上って狛犬の間から本殿へ

尾の小さい狛犬の奉獻年は大正13年

(2015・4・30)

 

天竜川を渡り 下久堅へ

下虎岩・神明社

天竜川を見下ろす左岸の中段 道路から石段を登り 直角に左へ曲がり 靖国型の石造鳥居をくぐる

狛犬の間を通って直進 正面には舞台

舞台前でさらに右に方向転換し二の鳥居から結構急な石段を登る 途中に広場があり

これも靖国型の三の鳥居から さらに続く石段を登ると拝殿へ 拝殿は珍しく西向き

狛犬は阿形の足元に小獅子 吽形は不鮮明で申し訳ないが 小さな巻毛の尻尾が珍しい 奉獻は昭和9年

常信院の隣だから眺めは良い

 

知久平・諏訪神社

一般道からはアプローチしにくい参道 下久堅小学校のグランド脇から大きく曲がり 一の鳥居

折から秋祭りで二の鳥居の前に狛犬

諏訪神社だけあって 正面左右に御柱 神社総代が祭り準備に大忙し

なんとなくおどけた表情の狛犬 このタイプは初めて また平面的な尻尾の形も珍しい 

奉獻年は大正15年だという

 

参道を逆から見ると 正面には運動会真っ最中の小学校グランド

 

小林・三島神社

知久平から幟旗が見えたので足を伸ばした

一の鳥居から長い参道を真っ直ぐに二の鳥居をくぐる

真新しい拝殿では秋祭りの準備 本日が宵祭りだという

狛犬は昭和14年奉獻で 小獅子玉乗りの ごく平均的な姿

久米・駄科・矢高・柏心寺秋葉 がこの系列

(2014・11・9)

 

下虎岩北原・諏訪社

狛犬もない小さな神社 社務所兼拝殿が南向きに建つ

 

虎岩亀平・某社

農免道路の少し上 木製の鳥居の奥に祠と覆屋 境内は矢場になっていて

左写真の右手 波板トタン屋根が的場 祠の左手が射場

(2014・12・23)

*

さらに国道を南に川路方面

上川路八幡社

行政的には竜丘地区 川路との境の久米川の北側 南面する住みよさそうな集落の上段

短い石段で狛犬と舞台のある広場へ

さらに石段ふたつで拝殿に到着

奉獻は昭和3年の小獅子玉乗り型

上川路の集落を見下ろす 久米川を挟んで川路方面

 

川路・琴原神社

 相沢川の谷あいの琴原集落から かなり離れた 伊豆木に抜ける峠道 周囲の台地は果樹園

参道を西にあるくと拝殿があり その奥に本殿が鎮座

こちらはその拝殿前から

 

川路補足・川路神社 (2015・4・15)

旧国道から川路小学校へ上る坂の途中 130段の長い石段

右は二の鳥居下より石段を振り返る 手スリがなければ怖いほど

拝殿と奥に本殿

狛犬は平成5年奉獻 現代風の小獅子玉乗り型

 

川路・諏訪神社 

周辺は三遠南信道路で全く様変わりしているが 伊豆木から天竜峡へ抜ける道路に面している

林間の参道を西方向に歩くと玉垣に囲まれた拝殿にいたる

(2014・11・9)

 

また国道151号にもどり

長野原・金山神社

南側の小道からアプローチ 社務所と一体化した拝殿

桐林と同じような大型の玉乗り小獅子の彩色狛犬 平成18年奉獻

 

時又・八王子神社

時又は土地が限られており 高低差の激しい地区で 少しわかりにくい小道をいくと

おりから彼岸花が出迎えてくれた 石段を登り 境内へ

さらに石段から拝殿へ この後ろに本殿がつながっている 拝殿前に空地はほとんどない

昭和11年の奉獻だという狛犬の精悍な表情は ほかにはあまり見ない

(2014・10・13)

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三穂方面 5社

久米から少し南に下がるといわゆる三穂地区 阿知川をへだてて下条村と接する地区

もともと伊豆木・立石・下瀬の3つの村が合併し 三穂村を名乗ったのが明治22年

したがってそれぞれの集落に神社がある 飯田市との合併は昭和31年

 

伊豆木天満宮

県道から西側の小山に鎮座 裏側からはクルマも到達可能

狛犬はいないが 東側に人形舞台がある

 

伊豆木・八幡宮

伊豆木のほぼ中心部といっていいのか東向き 木製の一の鳥居から真っ直ぐの参道

同じく木製の二の鳥居からは石段を上り 拝殿へ

奉獻は紀元二千六百年とあるから昭和15年の小獅子玉乗り型

 

伊豆木・八幡宮

上記八幡宮の近くに もうひとつの八幡宮 田んぼの中を進むと木製鳥居

石垣・玉垣もあるが全体的に寂しい雰囲気 あまり参拝者もいないような感じ

 

立石・日枝神社

伊豆木から峠を越えて立石に入ると 南に面して中心部に一の鳥居

長い参道は次第に坂道となり 石段を上ると 右手に人形舞台らしき建物

そんなに古くはなさそうだが 今は高齢者の集会施設

もう1段上って拝殿へ 狛犬はいない

集落に下りる中間から 県指定の天然記念物 右に雄杉 左手に雌杉

 

下瀬・山神社

阿知川沿いに下って国道151号に出ると 高台に神社

南向きの鳥居から石段 拝殿へ

 

飯田市の南西部の端 隣は阿智村という山本地区へ

山本南平・七久里神社

中央道の北側の木製一の鳥居から しばらく歩くと石の二の鳥居 さらに石段を登り境内へ

若者が火の粉を浴びて樽を振るう 裸祭りの広場から本殿へ 左右に狛犬だが

なぜか右に吽形 左に阿形 奉獻年は不明だが素朴な形から古さが偲ばれる

飯田周辺では最古といっていいのではないか

 

山本・伊奈神社

山本の中心部から東に下って 小学校の北側

拝殿右には舞台 ゲートボールの休憩所としてか近年土庇が付けられたようだ

前に来たときにはみられなかった

狛犬はいないが 神社高台から水晶山方向

 

久米・八幡社

伊奈神社からさらに東に下ると久米集落の中心 市道から石段を登ると

静まりかえった崖下の平

昭和13年の奉獻で 小獅子玉乗り型

 

箱川八幡宮

久米から南方向 水晶山のさらに南側 阿智村との境界

郷土テーマパーク 「かぶちゃん村」の下に ひっそりと時を忘れたような集落

その中心の高台にたたずむ八幡社

狛犬は昭和 8年奉獻だそうだ

(2014・9・1)

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次は中村方面・笠松山麓の扇状地の扇頂部から

梅ヶ久保神社

梅ヶ久保公園から1段上へ 靖国型の鳥居をくぐり

さらにもう一つの鳥居をくぐると境内 といっても本殿・拝殿ともになく 石造の祠

祠のみの神社は取り上げない方針だが 社務所があるので掲載した 狛犬もなし

ただ境内の展望台からの眺めは良く 伊賀良・中村方面から南アルプスまでの大パノラマ

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大瀬木・矢抜神社

しばらく下ると 旭が丘中学校の上に神社 鳥居をくぐって長い参道を上ると境内に

拝殿前から中村の平を見下ろす 右に枝垂れが1本 広場に面して舞台もある 狛犬はいない

桜の季節に訪ねてみた(平成28年4月5日)

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下中村八幡宮

国道151号中村交差点から川路へ向かう主要道に面して石段

境内には舞台もあり

拝殿手前には昭和46年奉獻だという

ところが さらに もう一対の狛犬が

神社研究家・注連縄狛犬さんによれば 延保6年(1678年) これは古い 形もそんな雰囲気

本殿の階段脇に平行して置かれている 当初気がつかなくて 上記研究家のHPで知り再訪

なお同じような「むかし狛犬」は山本・北平の七久里神社にもある

(2014・6・29)

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伊賀良をさらに南へ 上段の佐倉神社から三日市場へ下る

北方・佐倉神社

標高が高いので もっとも遅い花見の佐倉さま その最上段にある佐倉霊堂 狛犬はなし

昭和の創建らしいが 当然ながら特筆すべきは見晴しの良さ

これは鳥居の先からの飯田市街から伊賀良方面のパノラマ

ここに神社を創りたくなる気持ちはわかる

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大瀬木・熊野神社

国道153・256号を背にして東に向かって鎮座 拝殿右手に社務所兼用の舞台

意外に歴史はあるようだ 狛犬なし

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三日市場・奥位神社

さらに東へ下りて 久米街道・知久町中村線の三日市場交差点の東北側だが 目立たない旧道沿い

見事な枝垂れが1本 境内は間口の割りに奥行がある

ここにも狛犬はいない

(2014・6・5)

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またまた段丘の上に戻って伊賀良方面

北方・育良神社

国道256号北方から西に入ると社叢 参道はさらに西方向に伸び

直角に折れて今度は北方向 1段上がると拝殿と奥に本殿 左に新しい社務所

石段を登った二の鳥居の手前に大正15年奉獻の狛犬

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上殿岡・神明社

東に下って久米街道の西側に面している

神明社だから神明型の鳥居かと思えば これはいわゆる靖国型といわれるもの

奥にポツンと拝殿 左に元は舞台らしき社務所が集会所の陰に建っている

狛犬はいない

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下殿岡・八幡神社

さらに大井川に沿って下っていく 左は農村舞台 

奥に集会所を新築 右手には富士塚がある

玉垣の手前に昭和60年奉獻の現代狛犬

(2014・4・23)

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八幡から国道151号沿いに南下して 毛賀・駄科・桐林方面

毛賀・諏訪神社

国道の西側の高台へ向かうと 高い石段があり 集会所裏側の参道を北に進む

集会所と同じ段の平が神社境内 入り口脇に狛犬

奉獻は大正14年という 座光寺・麻績神社のものに似ている

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駄科・諏訪神社

沢を越えてさらに南下すると駄科 ほぼ平地に社叢

狛犬は鳥居をくぐって すぐの位置

奉獻は昭和17年 吽形の小獅子つき 阿形は玉乗り

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桐林・八幡神社

駄科と同じ平の段丘際 主要道路からは少し入った位置

立川流の立派な本殿で 拝殿も格調がある 広い境内には農村舞台もある

石段下 平成18年奉獻の現代狛犬は大型で彩色

(2014・4・9)

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さらに松尾・八幡方面

八幡・北辰神社

古くからの八幡坂から見上げる位置 したがって眺望は抜群 狛犬なし

右写真は八幡の街の様子だが 右下には宝暦年間の石灯籠兼道標が見える

右へ振った八幡の街並み ほぼ180度の視野がある

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八幡・鳩ヶ嶺八幡宮

八幡の旧遠州街道の ど真ん中 また小川時峠を越える秋葉街道はここから分岐し手前方向

広い境内には歴史が詰まっているが これは力石

境内へ入ってすぐのところに 現代狛犬 平成3年の金婚式記念の奉獻

新しいものではこのパターンでの建立が多いようだ

八幡段丘の中間に位置しており 石段を登って立派な本殿へ 登りきったその脇に古い狛犬

神社研究家・注連縄狛犬さんによれば 270年前 寛保3年(1743年)の奉獻だという

新しいものは参道に対面する形が一般的だが 古いものは平行して置かれているようだ

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松尾代田神社

鳩ヶ嶺八幡宮から沢ひとつ隔てた やはり段丘際ではあるが 目立たない存在

緑ヶ丘中の敷地にかかり ここへ移転したという

この狛犬も金婚式記念の奉獻で 昭和63年の建立の現代型

ネットで調べるとお値段は60万くらい 台座を併せると100万くらいなのか

同じように八幡の街を見下ろし 左手に代田地区の集会所がある

(2014・3・23)

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弁天厳島神社

弁天の天竜舟下り本社北側 公園の一角に鎮座

かなり古い神社のようだが 昭和36年のいわゆる36災で被害を受け山側の現在地に移動したようだ

狛犬は昭和12年の奉獻 やはり戦前のものは風格がある

(2014・9・21)

さらに鼎方面へ

鼎切石・八幡社 通称・天伯神社

切石の上段の段丘端部に東向きの神社

平入りの小ぶりな拝殿

新しい狛犬は昭和56年・神社創建100周年の記念に奉獻されたものという

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鼎一色・諏訪神社

鼎の上段をさらに東に下ると ここは大杉が有名

桜の季節には見事な境内 拝殿はやはり東向 奥の石鳥居のすぐ近くに狛犬

昭和18年の奉獻だというが 戦時中だ 誰かが武運長久を願ったものか

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鼎名古熊・八幡神社 通称・名古熊神社

やはりここも鼎段丘の上段に東向き 石の鳥居の手前に狛犬

境内はかなり広く 保育園と隣接して園児の遊び場 諏訪神社も併設の拝殿

大正7年奉獻の狛犬は人面犬的

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鼎下山・諏訪神社 通称・矢高神社

さらに東に下ると中段にあり ほぼ北から石段を登る

登りきると神明型の石造鳥居 ジグザグの参道から 珍しく西向きの拝殿

狛犬は石段を登りきったところに鎮座している 昭和3年の奉獻だというが 現代型に似ている

(2014・3・2)

鼎補足

名古熊・八王神三社

名古熊段丘の端部近く ひっそりと建つ小さな神社 どうも個人のお宮のようだ

現代狛犬は平成17年の奉獻 顔がデカすぎるような気がする

新しいものほど その傾向があるようだ

(2014・8・14)

 

名古熊・井綱神社

珍しい名前の神社だが どうも上と同じ個人の神社のようだ 狛犬はいない

場所は鼎名古熊の端 毛賀沢川の谷の向こうは駄科

一角は伊豆奈農村公園と称していて グランドの西に神社はある

西側には真新しい遊具があるが 利用度は低そうだ

さらにその東側の里山は整備されていて 鼎小学校の学友林となっている

(2019・5・19)

 

矢高稲荷神社

いつも自転車での散歩道 思いついて記録

鼎矢高神社北側の丘の下に目立たなく存在

(2015・10・22)

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つづいて上郷・座光寺方面

上郷上黒田・諏訪神社

野底山の山つけ 東に向いた鳥居

 諏訪神社と八幡神社が共存 狛犬は奥の鳥居のやや奥

狛犬は昭和54年の奉獻 これからあちこちでお目にかかることになる現代版量産市販品

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上郷下黒田・黒田神社

上郷のフr−ツラインから少し北に入ったところ 南向きの鳥居の手前に狛犬

広い境内には 人形舞台や 各種の石碑が並んでいる

昭和10年奉獻の狛犬は上黒田よりも躍動感がある と思った 小獅子玉乗り型

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上郷飯沼・諏訪神社

さらに南に下ると竜坂の中腹に300段近い長い石段

春先の桜の季節には名所となる

中世には城があったというが 拝殿脇には2本の立て御柱

境内のど真ん中の狛犬は昭和58年の奉獻で上黒田のものとほぼ同じ

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座光寺・麻績神社

座光寺の中段 支所の北側 境内には巨大な農村舞台兼小学校だった県宝・麻績校舎があり

横に長い平入りの拝殿には諏訪神社と八幡神社の額

麻績校舎の前にはこれも有名な舞台桜があり その季節には大変な賑わい

昭和3年奉獻で現代ものよりも やはり格調が感じられる

(2014・2・9)

上郷下段(しただん)補足

飯沼・田中八幡宮

天竜川からは2段目の段丘部の道沿いに石段 少し奥に石の鳥居があり 畑の中を長い参道

鳥居の中は風越山だが 社叢は左の杉林

200mほど歩いて境内に

境内の中ほどに昭和49年奉獻の現代狛犬

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別府・護老神社

上の田中八幡宮と同じ段の松川寄りの端部 広い境内は明るく子供の遊び場

またそれに面して地区の集会所・児童館がある もともとは八幡宮の様子

石段脇の狛犬は昭和17年奉獻

本殿への階段脇に木製の狛犬が置かれている との情報に再訪してみた

撮影に苦労する場所で 安デジカメではこれが精一杯

阿形は角付きだから 吽形は宝珠が乗っていたかもしれない

(2014・5・4)

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上郷飯沼・田園神社

JR飯田線は伊那上郷から飯沼神社の下をトンネルで抜け 元善光寺に向かって下がってくる

鳥居の上の光っているのが たまたま通過中の車輌 線路を渡ると急な石段で神社

左が元善光寺方面 右がトンネル方向

石段の上から見た線路 神社は拝殿というよりも祠の覆屋という風情

神社の狭い境内からはリニア飯田駅附近を俯瞰 赤い橋の左で天竜川を渡り

青い屋根のパチンコ屋附近が駅 そこから右下に向かって走るようだ

(2014・10・23)

 

上郷野底公園・八王子神社

野底森林公園の奥に鋼鉄製の靖国型大鳥居 さらに進むと道路脇に木製鳥居

もともとはここからが参道だったようだが 今や道はない

そもそも集落から奥山に入ったこの位置に神社があるのが解せない

風越山の北側の暗い森の中の神社

(2014・11・30)

 

まずは飯田旧市内の神社から

上飯田羽場・元山白山神社 通称を権現堂

東側道路に面して 参道は桜並木

石段を登ると意外に広い境内

石段手前の狛犬は昭和18年に奉獻されたようだ オカッパ髪型

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上飯田・白山神社 神社の概要は こちら

 

やや小振りな昭和狛犬は昭和3年奉獻

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今宮郊戸神社 神社概要は こちら

石段手前に狛犬 昭和5年の銘あり

阿吽ともに玉乗り型 とくに阿形はわかりにくいが玉を持った子獅子を抱えている

石段を登った拝殿前にも奉獻されているが時代は読みきれず (某狛犬研究家によると 文化5年だという)

左の吽形は頭の上に宝珠 右の阿形は角が1本 なかなかユニークな造形

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大宮諏訪神社 神社の概要は こちら

石段を登った玉垣の角にあって 見上げる感じ

昭和5年製の昭和スタイル

さらに長い階段を上りきってたところに もう一対 安政3年の銘がある

左が吽形で やはり頭の上に宝珠 右の阿形も角 それぞれ尾の形が異なっている

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追手町・長姫神社 通称は御三霊 神社の概要は こちら

石段を2段登ると 玉垣の脇に鎮座

これもいわゆる昭和スタイル 大正7年だというが石の表面が剥がれ気味 モルタルで補修

2014・1・26

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市街地神社補足2社

元町・琴平神社

文政期に飯田城主・堀公の奥方により勧請されたという 狛犬なし

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二本松・普門院天満宮

さすが天満宮 紅白の梅の若木が満開 狛犬はいないが 右手にちゃんと石造りの牛はいる

やはり堀公の関係での普門院境内の天満宮の祠が そのまま残ったもののようだ

裏手が二本松の遊郭にあたり そのシンボルだったのかもしれない

(2014・7・27)

 

丘の上稲荷小社

烏山稲荷

元町・御蔵公民館の脇の稲荷社 堀氏の飯田藩転封に伴い烏山から持ってきたもののようだ

 

吉清稲荷

箕瀬1丁目・長源寺本堂の北側 日蓮宗だけに七面天女と拝殿中に並んでいる

なお七面さまは幼少の頃には 縁日がたち賑わっていた記憶がある

 

白雪稲荷

所在は諏訪町にあたり 飯田藩堀氏の菩提寺でもある長久禅寺の東にあたる

もとは寺敷地内にあったかもしれない 石造狐一対がある

 

大王路稲荷社

大王路の大雄寺から通りひとつ隔てた西側に鎮座

どこにも名称がないので大王路稲荷とした

(2016・1・3)

 

柏心寺・秋葉大権現

稲荷社ではないが 狛犬がある 箕瀬2丁目柏心寺の本堂南側

昭和 8年奉獻で夫婦連名 松尾・竜丘方面に多い金婚式の記念の走りかもしれない

飯田市街地周辺では珍しい小獅子玉乗り型

(2014・8・3)

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上飯田補足

上飯田・天良(てら)神社

大休にひっそりと佇む神社だが 創建は脇坂時代の寛文年間と意外に古い

石造の鳥居はいわゆる神明型と呼ばれるシンプルなもの この近辺では珍しい

拝殿西側には舞台らしきものがある

狛犬は台座が別に造られたようで 奉獻年は不明だが昭和狛犬のようだ

尻尾が小振りなのに注目しておきたい

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松川・佐倉神社

大平街道を松川ダムのすぐ上から 一旦下ってから 今度は山道を5分ほど巻く感じで上り

凸部の頂上に 石段を登って拝殿兼用の本殿 右の建物は社務所 狛犬なし

(2014・5・25)

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城山佐倉神社

風越山麓 子どもの森公園の最上部 狛犬なし

 

加賀沢白山大神

野底川の加賀沢橋近く エドヒガンの大木で有名 拝殿とはいえず 単なる覆屋というべきか

(2014・9・22)

 

(続く)

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