GHQ航空写真&虫眼鏡

 

※飯田大火復興都市計画について →jump

 

国土地理院で保管している米軍空中写真の飯田版を発注し 先日到着

大きさは2倍に引き伸ばしての46cm×46cm

ルーペで細部を眺めると 時の経つのを忘れるほど

撮影は昭和22年9月22日であり 4010戸を焼失した4月20日の飯田大火の5ヶ月後である

その後 昭和29年まで復興の区画整理が行われたので

江戸時代の飯田城下の町筋をあらわす航空写真としては 唯一のものと思われる

しばらくは正確な地図もあまり作成されていないのだが

市販された航空写真としては「平成元年 飯田・下伊那航空写真集」がある

上の写真は米軍写真とほぼ同じ中心部を 4枚無理やり合成したもの 角度が合わなくて苦労

米軍写真から約40年後の姿(以下同)である

さらに中心部を拡大したもの 被災地にもすでに建物が建てられているようだが

当時の記録(下資料)と対照すると 白っぽいところがほぼ焼失部分のようだ

左上方が飯田駅そこから真っ直ぐ斜めに中央通りから谷川線

駅の下の特徴ある建物配置が飯田病院の旧病棟

右上に旧飯田高女(現飯田風越高校)と浜井場小学校の校庭の一部

右下には追手町小学校と旧飯田商業(現飯田長姫高校)

中央よりやや左下に旧大久保小学校(現飯田市役所敷地)が見える

「地域防災データ総覧−防災まちづくり編」 (財)消防科学防災センター平成4年刊より

2ページにわたって執筆を担当した 左ぺージが焼失部分 右ページがその復興図部分

北方向を航空写真と合わせたために斜め 復興の都市計画は3つの防火帯で中心部をわけることで

40m防火帯・中央公園についてはこちら 30mの防火道路・りんご並木についてはこちら

22mの防火道路・通り町についてはこちら 裏通りの避難路・裏界線についてはこちら

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以下は1947年と1988年の市街地の変遷を対照したもの

市街地南西部から松川を挟み鼎下段の比較 宅地化状況は見ての通りだが

大きな変化は羽場坂バイパスの完成 飯田大橋から国道153号線の市役所前通過と

運動公園通りと新久米路橋の接続状況 羽場坂バイパスについてはこちら

こちらは飯田城址から南部の鼎下段

とくに城址の県合庁・図書館 飯田長姫高校の移転と美術博物館・消費生活センターなどの新設状況

城址の現況についてはこちら

城東地区 ここは昭和36年6月のいわゆる36災で野底川が大きく氾濫した地域

その後の区画整理で整備された状況 野底川についてはこちら

国道153号上郷地区の商業集積に注目したい R153についてはこちら

城東より少し北側を見たところ

高松台地上の教育施設 飯田高校と上郷小学校に加え 飯田高校グランドの拡張

上郷小学校の東に飯田女子高の新設 飯田線を挟んで高陵中学校の新設と台地上の宅地開発

段丘下の国道周辺の宅地化と農地改良が顕著 関連風景は段丘下の旧道についてはこちら

高松台地と竜坂についてはこちら

最後は市街地北西部の東野・丸山地区

山麓近くでは丸山球場の新設 旧飯田工業高校 新築移転した飯田風越高校など

また球場を含め丸山方面は36災で激しい被害を受けたところで その後の市街地河川の整備状況

中央道の通過と飯田東中学校から丸山小学校付近の高羽地区土地区画整理状況にも注目したい

市街地河川の整備状況についてはこちら

なおその後 飯田工業高校は新築移転し風越山麓公園が誕生した 詳細はこちら

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2010・2・10

 

補足:飯田大火復興都市計画について

最近読んだ「県都物語−47都心空間の近代をあるく」は県庁所在都市の歴史の中で形成された

都市構造を探る東大都市工学科院教授・西村幸夫による試みで、出色の景観都市論でもある。

そこでは中世から近代・現代において、都市計画家の存在というよりも民衆の叡智の結果として

現状を肯定する基本姿勢に貫かれており、大いに感銘を受けた。全国の全ての都市が同じように

歴史の中で生まれ発達してきたものであり、無個性といわれる日本の都市も仔細に観察すると

その個性が読みとれることを示してくれている。

またそこであげられている県庁所在都市は大部分が太平洋戦争末期の空襲で被害を受けていて

その復興がそれぞれ大きな課題だったはずで、国・県・市の土木職員の労苦が偲ばれるものである。

そしてそこには大幅員の道路によって十字に防火帯をつくる、という共通の思想を見ることができるが

それこそまさに飯田大火の復興都市計画における基本コンセプトでもある。

伝えられるところに寄れば意外に復興計画案が早く作成されたというが、戦災の復興都市計画の

手法に長けた土木技術者の手腕によるものとも考えてもいいのではないか。

今後だれがどのようにして復興都市計画を作成したか、あるいは実際にどのようにして市民が納得し

実現させていったかを、研究する必要があるが、とりあえず上記書籍の感想をしるしておきたい。

(2018・5・24)

 

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